キリストの優しい風

~風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、
それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。
霊から生まれた者も皆そのとおりである(ヨハネ3:8)~

キリストの優しい風に吹かれ、自由に導かれ、癒やされ、変えられていく幸せをあなたと。。。





試練

苦難の中で

こんにちわぁ~

今日はみことばの分かち合いしますね

旧約聖書のヨブ記です。




ヨブって本当に大変な中を通らされた人です。


だってね、最初、幸せな中で、家族にも恵まれ、神様を第一とした歩みをしていました。

そんなヨブ、突然酷い皮膚病に冒され、灰の中に座り、素焼きのかけらで体中を掻きむしる状態とされました(ヨブ2:8)。

そしてヨブの奥さんからも罵倒され、すべてを失ってしまったんです。。




それだけじゃないです。

なんと、見舞いに来た筈の友だちからも非難され、しかも22章を見ると、友だちの一人エリファズから濡れ衣を着せられ、悔い改めよって言われてるんです。

神様に訴えても、神様は沈黙されたままで、何も答えてくださいません。

ヨブの心を思うと、心痛くなりますね。。。



ヨブ23:8~9 
あぁ、私が前へ進んでも、神はおられず、 うしろに行っても、神を認めることができない。
左に向かって行っても、私は神を見ず、右に向きを変えても、私は会うことが出来ない。



これがヨブの状態です。


でもね、思うんですが、私たちもヨブみたいな最悪の状態では無いにしろ、説明不可能な苦難というか、苦しみの中に入れられてしまうことってあると思うんです。

祈っても、もがいても、解決されない。




ぼくもありました。

その時、呻いて呻いて、誰もいない教会で大声を上げて祈っても、どうにもなりません。

しかも、病で倒れてしまいました。




そして、もはや何も出来ない状態となり、その時、始めてわかったんです。

あぁ、ぼくの内には何も無いんだなぁってね。


どんなに大声で祈っても、何とかしようともがいても、どうすることも出来ませんでしたが、倒れたとき、始めて、自分の無能さがわかり、神様に頼るレッスンを受けるようになったんです。




苦難って、変な言い方なんだけど、ある意味恵みなんです。

逆に言うと、苦難に遭わなければならないほど、人間って頑ななんです。


そして、下を見ると真っ暗、その穴に落ちないよう、頑張って信仰を働かせて、もがいて、呻いて、主よーーー!!!って祈ります。

でも、その間は主は沈黙したまま、何も答えてくださいません。





今、はっきり言えるのは、その時、手を離して落ちてしまえばいいんです。

乱暴な言い方でごめんなさい、だってね、落ちた先ってどこだかわかりますか?

イエス様の優しい御手の中なんです。




私たちは、今の苦しみ、まるですべての道がふさがれたように見えても、でもその中で主を見上げ、主に信頼し、今与えられていることに忠実でありたいですね。

そして、頑張って握りしめているその手を、勇気を出して離し、落ちてしなうことです。

そう、優しいイエス様の御手の中に。。。



祝福を祈ります

キリストの愛を込めて。。。


試練の中でも

こんにちわ~

ふぅ、今日も無事に終わりました


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さてさて、今日もみことばの分かち合い、しますね


☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★

仮借ない苦痛の中でもだえてもなお、わたしの慰めとなるのは、聖なる方の仰せを覆わなかったということです。

ヨブ6:10

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆★



エリファズの責めのメッセージに対するヨブの答えです。

この時のヨブ、心身共にボロボロで、この箇所の前の節である8~9節を見ると、自分の死を願っています。


そういう状況で、「それでもなお、わたしの慰めとなるのは、聖なる方の仰せを覆わなかった」とヨブは言っているんです。

これがヨブの信仰です。



「聖なる方の仰せ」、つまりみことばですね。

私たちもまた、みことばを大切にしたいですよね。



ヨブは完全に希望を失っています。そりゃそうですよね。

だって、ただでさえ、心身共にボロボロの状態なのに、エリファズの無神経な自己本位な発言で、もはや希望が絶たれ、暗闇の中にどっぷり浸かった状態です。


ヨブほどじゃないけど、でも目の前が見えず、不安の中にあること、将来に対する不安、恐れ、自分自身の内にあります。

でもね、そういう中で不安の波に流されるんじゃなくて、「聖なる方の仰せ」つまり、みことばを覆うのではなく、みことばにしっかりと立つことですよね。


ヨブ記を味わっていて、つくづく思わされるのは、ぼくらは目の前のことしかわかんないっていうこと。

実はそれとは別に舞台裏があって、そこ、つまり天において、神様がその御心により、今の状態に置かれているということ、試練も病気もそうなんです。

それは決して神様が意地悪でなんじゃなくて、特別な、最善のご計画を神様がお持ちで、そのためなんだっていうことだっていうことなんです。

そして、祈りはちゃんと天に届いているということ。ぼくらの祈りは天に届いていて、今、大祭司であられるイエス様が天においてぼくらのために執り成し祈り続けておられるんです。



目の前の波だけを見て、流されたとき、サタンはシメシメって思います。

だって、神様から目を反らし、目の前の現実の前に押しつぶされることですからね。


ぼくらは、常に主を見上げ、主に信頼することなんですよね。

そして、聖霊を通してぼくらの内にいますイエス様にしていただくことなんです。


この3月、イエス様に依り頼み、信頼する月となりますように


お互いに主に信頼しましょうね


祝福を祈ります
キリストの愛を込めて。。。

でわでわ~


ぺんぎん
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