こんんちわ~ まんなです。

今日もみことばの分かちあい、しますね  

今日の箇所はヨハネ11章47~48節です。



そこで、祭司長とパリサイ人たちは議会を召集して言った。

「われわれは何をしているのか。あのひとが多くのしるしを行っているというのに。
もしあのひとをこのまま放っておくなら、すべての人があの人を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も奪い取ることになる。」
 


イエス様がラザロを生き返らせた奇跡、これはメシア的奇跡と言って、メシアでなければ出来ないとパリサイ人たちや律法学者たちが教えていた奇跡です。

そのメシア的奇跡を目の当たりにし、そこにいた民衆はこぞって、この方こそメシアだって信じました。

ところが、信じなかった人たちがいたんです。その人たちはパリサイ人の手下で、この奇跡を見ても感動すること無く、パリサイ人たちのところに行って報告しました。

今日の箇所はその報告を受けたパリサイ人たちの反応です。


そこで、祭司長とパリサイ人たちは議会を召集して言った。「われわれは何をしているのか。あの人が多くのしるしを行っているというのに」(47)

手下たちの報告を受けて、すぐ議会を召集しました。

報告を受けたのは祭司長とパリサイ人。手下たちはパリサイ人に報告したのに順番は「祭司長とパリサイ人」っておかしくないですか?

実はね、この箇所をもって、祭司長とパリサイ人の権力が逆転したんです。

祭司長というのは、復活を否定しているサドカイ派の人たちです。


で、議会というのはサンヘドリンと言われているもののことで、彼らは急遽その議員たちを召集しました。

突然のことで、当然全員というわけにはいかなかったでしょうね。



で、祭司長とパリサイ人たち、何と言ったかというと、「われわれは何をしているのか。あの人が多くのしるしを行っているというのに!」

あの人、つまりイエス様のことですね。イエス様が多くのしるしを行っているって彼らは言っているんです。

「しるし」、彼らはイエス様のしるし、このしるしってメシア的奇跡のことです。

っていうことは、祭司長とパリサイ人たちはイエス様がメシアだということは理解しているんです。

これ、凄くないですか!だってその上で「われわれは何をしているのか」って言って、動揺し、焦って居るんですからね。



48節を見ると、彼らの本音がわかります。

もしあの人をこのままにしておくなら、すべての人があの人を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も奪い取ることになる。

どうですか?これが彼らの本音です。

彼らはイエス様がメシアだっていうことは認めています。でもそれよりも自分の立場の方が重要なんです。

もっと言うと、イエス様がメシアだろうかどうだろうが、そんなことはどうでもよいのです。


「ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も奪い取ることになる」、これ、新改訳聖書の訳ですが、新共同訳聖書ではこう訳されています。

「このままにしておけば、皆が彼を信じるようになる。そして、ローマ人が来て、我々の神殿も国民も滅ぼしてしまうだろう」

新改訳聖書で「土地」と訳されているところを、新共同訳聖書では「神殿」と訳しています。

ギリシャ語では「トポス」という言葉なんですが、ここでは新共同訳聖書の「神殿」という訳の方がよいのだと思います。


祭司長たちは神殿、つまり自分の職場や地位が一番重要で、国民のことは二の次なのです。

このまま放っておくと、民衆はイエス様が約束のメシアだと信じ、王として担ぎ出すだろう。そうなったらローマがだまっていない。ローマがきっと介入し、神殿を崩壊し、国を滅ぼしてしまうだろうって思い、焦ったんです。



すごく考えさせられます。彼らは自らの地位を守ることに固執して、結果メシアを拒否してしまいました。

本来、彼らが一番待ち望んでいた筈なのに。。。。



でもね、我々はどうだろうって思うと、あんまり笑えないんです。。。。

もちろん、「そんなぁ~、イエス様、拒否したことなんてないです!」って思われるかもしれません。

でもね、イエス様の御心よりも自分の計画とか、イエス様のやり方よりも自分のやり方っていうこと、ないですか。

そうやって考えた時、ぼくらも彼らと似たり寄ったりだなって思わされるんです。



また、教会レベルでも同じです。

聖書の真理よりも会衆の気持ちとか、教会員の人たちを躓かせないように真理を語ることを控えたり、聖書のみことばを今日の状況に合わせて、自分たちの都合のよいように解釈するとか。。。

イエス様よりも教会員となったとき、これは彼らと似たり寄ったりになってしまいます。


この箇所、すごく考えさせられるなって自分自身、内側を探られました。

純粋に主を畏れ、主の御心に応答し、アーメンと行動する、そして主を常に第一とする者でありたいと心から願います。


だってね、我々は死んだ後、また携挙された後、キリストの裁きの御座での裁きが待っているんですからね。

その時、すべては暴かれるんですからね。

そして、その時主に「よくやった、忠実な良きしもべよ」って言われたいですもんね。



尚、このイエス様のメシア性を拒否した結果、その70年後、神殿は崩壊し、エルサレム自体も崩壊し、ユダヤ人は流浪の民となってしまいました。

イエス様を拒否した結果、彼らが恐れていたとおりのことが起こったのです。

これはとっても厳粛なことですね。。。



でも、私たちは忠実な主のしもべとして、みことばを慕い、みことばに忠実に従う者でありたいですね。

みことばを勝手に私的解釈しようとしたり、主のご計画より自分の計画や願い、好みを優先するようなことをせずね


この箇所を味わいながら、そんなことを思わされました


今週も後半戦、後半も主に従い、主に依り頼んで前進しましょう



でわでわ~