こんにちわ~
今週も無事終わりました
ほっ
今日もこうやってブログやれてること、とっても感謝です。
さてさて、Twitterに今日ツイした内容です。
この箇所、とっても有名な箇所で、「喜び・祈り・感謝」ってよく言って、賛美もありますね。
有名なんですが、その内容の意味とか、深みとか、パウロがどういう思いでテサロニケの人々に向けてこの言葉を書いたのかって伝わってきません。
でも、この箇所だけピックアップするんじゃなくて、テサロニケ人への第一の手紙全体を読んで、その流れっていうか、文脈の中でこの「喜び・祈り・感謝」箇所を味わうと、ほんと、深いんです。
っていうか、印象がガラッと変わります。
このみことば、もう一度改めて書きますね。
ぼくたちは時に喜べないこともあります。
口ではいくらでも「喜びましょう~」とか「感謝しましょう~」みたいなこと、言えますが、でも、実際、喜びどころか、不安に押しつぶされそうになることがあります。
大切な人を亡くした悲しみ、それもですよね。。
でもね、パウロはそんな無責任な思いでこんなことを言ってるんじゃないんです。
きれい事じゃなくて、本当に苦しい迫害の中、将来、再臨のイエス様にお会いすることが出来る、まもなく私たちは携挙され、イエス様とお会いするんだっていうところから来る喜びなんです。
初代教会の信者たちの希望、喜びって、携挙されること、イエス様がまもなく戻って来られるというところにあるんです。
同じ第一テサロニケ4章16~18節にはこうあります。
これを「携挙」っていうのです。
そしてこの携挙はまだ起こっていませんが、これから、というか、まもなく起こる出来事です。
神様のラッパが鳴り響き、イエス様が私たちクリスチャンを迎えに天から空中まで降りて来てくださります。
そしてその時、先に亡くなったクリスチャンの方々がよみがえるのです。
もちろん肉体をもってね。
でもその時、専門用語で「栄化される」っていうんですが、栄光のからだにされてよみがえります。
栄光のからだって、 傷も染みもない姿です。
もはや罪もありませんし、罪を起こそうという概念すらその人にはありません。
だからね、アンチエイジングなんて、もはや死語だし、当然全員完全すっぴんです。
だって、イエス様の栄光で輝いているんだから、もうお化粧なんて必要ありません。
それとね、病気だって無いんですよ。
そして栄光のからだにされて、空中まで迎えに来られたイエス様のもとに一挙に上げられていくんです。
そしてね、次にその時に生きている人たちは、瞬間的に栄光のからだに変えられて、一挙に天にあげられます。
そして、天に上げられて、待っているのは、イエス様との結婚式です。
霊的には男性であっても女性であっても、イエス様の花嫁で、クリスチャンはイエス様との婚約中で、イエス様が迎えに来られるのを今か今かと待っている状態なんです。
そして、携挙されて、イエス様との結婚式です。
私たちは携挙され、祝福の内に結婚し、イエス様を賛美し、ほめたたえます。
そう、礼拝です。
そして、イエス様が再臨されます。
その時、私たちもこの地上に戻って来て、私たちと同じ異邦人のクリスチャンを治める働きをするんです。
パウロは、そのことを本気で信じていて、その日がわかっていて、それは確実に起こることを知っているから、だから喜ぶことが出来たんです。
パウロは地獄のような迫害を受けていましたが、その中でのモチベーションは「携挙」だったんです。
パウロは「こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい」って言われました。
イエス様はまもなく、私たちを迎えに来てくださいます。
そして、安心してください。私たちクリスチャンは一人も、一人も失格者はいないんです。
そう、救いは絶対に絶対に失いません。
一度救われたら、たとえ罪を犯しても、失敗しても、たとえ法に触れるような犯罪を犯してしまったとしても、失うことはありません。
自殺したとしてもです。
そして、試練の中にあっても、悲しみの中にあっても、イエス様は私たちの内に住んでいてくださっています。
ここに希望があり、そこに信頼すること、これが祈りなんです。
このことがわかっているから、そしてまもなく迎えに来てくださるから、感謝が生まれてくるんです。
ぼくたちはこの地上生活だけを考えていたら、死後に希望を見いだせなかったら、それは地獄であって、喜ぶことも、感謝することも出来ないでしょう。当然です。
でも、まもなくイエス様がぼくたちを迎えに来てくださるんです。
ハレルヤ、そこにこそ希望があり、喜びがあるんです。
主に信頼すること、主の愛の守りに身を任せること、そして携挙を待ち望みましょうね。
ここに深い深い慰めがあります。
主よ、来てください。。。
明日から新しい一週間、そして週の初めの日である明日、日本中で礼拝がもたれます。
心から主を賛美し、主を礼拝する日となりますように。。。
祝福を祈ります
キリストの愛を込めて。。。
でわでわ~
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今週も無事終わりました

ほっ
今日もこうやってブログやれてること、とっても感謝です。
さてさて、Twitterに今日ツイした内容です。
みのみの@キリストの中@minomino_m
「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。」
2017/03/04 22:34:59
(第一テサ5:16~18)
この箇所、よく文脈を無視して出てきますが、ここ、携挙、再臨という文脈の中で記されてるんです。
みのみの@キリストの中@minomino_m
@minomino_m 私たち教会が携挙される希望、そして決して救いが取り去られることの無い喜び、イエス様がその私たちと共にいてくださる。だから喜んでいることができ、感謝することも、祈ることもできるのです。
2017/03/04 22:37:11
みのみの@キリストの中@minomino_m
@minomino_m そう、将来、再臨のイエス様とお会いできる希望、その文脈の中でこのみことばが語られているのです。
2017/03/04 22:40:15
つまり、根本にあるのは、再臨信仰なのです。
みのみの@キリストの中@minomino_m
@minomino_m アーメン、主イエスよ、来てください(黙示録22:20)
2017/03/04 22:49:27
この箇所、とっても有名な箇所で、「喜び・祈り・感謝」ってよく言って、賛美もありますね。
有名なんですが、その内容の意味とか、深みとか、パウロがどういう思いでテサロニケの人々に向けてこの言葉を書いたのかって伝わってきません。
でも、この箇所だけピックアップするんじゃなくて、テサロニケ人への第一の手紙全体を読んで、その流れっていうか、文脈の中でこの「喜び・祈り・感謝」箇所を味わうと、ほんと、深いんです。
っていうか、印象がガラッと変わります。
このみことば、もう一度改めて書きますね。
☆★○☆★○☆★○☆★
第一テサロニケ5:16~18
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
☆★○☆★○☆★○☆★
ぼくたちは時に喜べないこともあります。
口ではいくらでも「喜びましょう~」とか「感謝しましょう~」みたいなこと、言えますが、でも、実際、喜びどころか、不安に押しつぶされそうになることがあります。
大切な人を亡くした悲しみ、それもですよね。。
でもね、パウロはそんな無責任な思いでこんなことを言ってるんじゃないんです。
きれい事じゃなくて、本当に苦しい迫害の中、将来、再臨のイエス様にお会いすることが出来る、まもなく私たちは携挙され、イエス様とお会いするんだっていうところから来る喜びなんです。
初代教会の信者たちの希望、喜びって、携挙されること、イエス様がまもなく戻って来られるというところにあるんです。
同じ第一テサロニケ4章16~18節にはこうあります。
☆★○☆★○☆★○☆★
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。
それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主とあうのです。
このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。
☆★○☆★○☆★○☆★
これを「携挙」っていうのです。
そしてこの携挙はまだ起こっていませんが、これから、というか、まもなく起こる出来事です。
神様のラッパが鳴り響き、イエス様が私たちクリスチャンを迎えに天から空中まで降りて来てくださります。
そしてその時、先に亡くなったクリスチャンの方々がよみがえるのです。
もちろん肉体をもってね。
でもその時、専門用語で「栄化される」っていうんですが、栄光のからだにされてよみがえります。
栄光のからだって、 傷も染みもない姿です。
もはや罪もありませんし、罪を起こそうという概念すらその人にはありません。
だからね、アンチエイジングなんて、もはや死語だし、当然全員完全すっぴんです。
だって、イエス様の栄光で輝いているんだから、もうお化粧なんて必要ありません。
それとね、病気だって無いんですよ。
そして栄光のからだにされて、空中まで迎えに来られたイエス様のもとに一挙に上げられていくんです。
そしてね、次にその時に生きている人たちは、瞬間的に栄光のからだに変えられて、一挙に天にあげられます。
そして、天に上げられて、待っているのは、イエス様との結婚式です。
霊的には男性であっても女性であっても、イエス様の花嫁で、クリスチャンはイエス様との婚約中で、イエス様が迎えに来られるのを今か今かと待っている状態なんです。
そして、携挙されて、イエス様との結婚式です。
私たちは携挙され、祝福の内に結婚し、イエス様を賛美し、ほめたたえます。
そう、礼拝です。
そして、イエス様が再臨されます。
その時、私たちもこの地上に戻って来て、私たちと同じ異邦人のクリスチャンを治める働きをするんです。
パウロは、そのことを本気で信じていて、その日がわかっていて、それは確実に起こることを知っているから、だから喜ぶことが出来たんです。
パウロは地獄のような迫害を受けていましたが、その中でのモチベーションは「携挙」だったんです。
パウロは「こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい」って言われました。
イエス様はまもなく、私たちを迎えに来てくださいます。
そして、安心してください。私たちクリスチャンは一人も、一人も失格者はいないんです。
そう、救いは絶対に絶対に失いません。
一度救われたら、たとえ罪を犯しても、失敗しても、たとえ法に触れるような犯罪を犯してしまったとしても、失うことはありません。
自殺したとしてもです。
そして、試練の中にあっても、悲しみの中にあっても、イエス様は私たちの内に住んでいてくださっています。
ここに希望があり、そこに信頼すること、これが祈りなんです。
このことがわかっているから、そしてまもなく迎えに来てくださるから、感謝が生まれてくるんです。
ぼくたちはこの地上生活だけを考えていたら、死後に希望を見いだせなかったら、それは地獄であって、喜ぶことも、感謝することも出来ないでしょう。当然です。
でも、まもなくイエス様がぼくたちを迎えに来てくださるんです。
ハレルヤ、そこにこそ希望があり、喜びがあるんです。
主に信頼すること、主の愛の守りに身を任せること、そして携挙を待ち望みましょうね。
ここに深い深い慰めがあります。
主よ、来てください。。。
明日から新しい一週間、そして週の初めの日である明日、日本中で礼拝がもたれます。
心から主を賛美し、主を礼拝する日となりますように。。。

祝福を祈ります

キリストの愛を込めて。。。

でわでわ~




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