こんにちわ~

今日も暑かったですね

梅雨も明けたし、今年は例年以上に猛暑となるとのこと、暑さ対策、万全にしたいですよね

そんなことを思わされます。


さてさて、今日もみことばの分かち合い、しますね。



そこで、マリヤのところに来ていて、イエスがなさったことを見た多くのユダヤ人が、イエスを信じた。

しかし、そのうちの幾人かは、パリサイ人たちのところへ行って、イエスのなさったことを告げた。

そこで、祭司長とパリサイ人たちは議会を招集していった。「われわれは何をしているのか。あの人が多くのしるしを行っているというのに。

もしあの人をこのまま放っておくなら、すべての人があの人を信じるようになる。そうなると、ローマ人がやって来て、われわれの土地も国民も奪い取ることになる。」

ヨハネ11:45~48
 



ラザロ、生き返りました。

ここで注意する必要があるのは、復活とは何かっていうこと。

復活というのは、今までとは違った体、つまり栄光の体に変えられ、もう死ぬことはありません。

それに対して蘇生とは、死んだ状態から、再び生を受けること。生き返ることですね。でも、その人もある一定期間生きますが、後にその人は再び死んでしまいます。


よくラザロの復活っていうけど、ラザロは復活と蘇生、どちらでしょう。。。。

今、ラザロが生きているなどとは聞いたことはないです。そう、ラザロは死んでいて、今生きていないんです。


だからね、ラザロは蘇生であって、復活ではありません。




さてさて、そのラザロが生き返ったんですが、それを見た群衆とパリサイ人の手下たち、反応が全く違います。


そこで、マリヤのところに来ていて、イエスがなさったことを見た多くのユダヤ人が、イエスを信じた。(45)

このラザロの蘇生って、メシアじゃなきゃできない奇跡です。

パリサイ派の人たちや律法学者たちはそう教えていたんです。それが目の当たりとされたんです。

「ラビたちが言っていたメシア的奇跡、この方がやってのけた!っていうことはこの方、メシアじゃん!!!」

これが民衆の反応。彼らは単純に、自分たちが教わったことが目の前に起こったから、この方はメシアだって理解したんです。



それに対してパリサイ人の手下たち。

しかし、そのうちの幾人かは、パリサイ人たちのところへ行って、イエスのなさったことを告げた。(46)

幾人かの人たち、イエス様の奇跡を見ても素直に信ぜず、パリサイ人たちに報告しました。

へそ曲がり。。。。 率直な感想。。。。

でも実際、そうなんです。イエス様の奇跡を見て、しかもメシアじゃなきゃできないって常日頃聞かされてきた奇跡が今目の前でなされたんですよ。

それでも受け入れず、拒否してパリサイ人たちに報告したんです。


彼らはイエス様をメシアと認めなかったんです。



この箇所を味わいながら思わされたのは、この背後にあるのって反発心だとか、反抗心だとか、そういうものなのかなって思ったんです。

最初っから、イエスはメシアじゃないっていうメガネでイエス様を見ていてるんですよね。

だから、いざメシア的奇跡をされても、固定観念で「それは違う!」ってなっちゃうんです。

っていうことは、信じたくないっていうことなんですよね。。。。



単純な信仰の民衆の人たちとパリサイ人の手下たち、ほんと、対照的ですね。

単純が一番だなぁって思わされます。


でもね、このパリサイ人の手下たちとおんなじようなこと、ぼくたちもやっちゃうことあると思うんです。

もちろん、イエス様を拒否るなんてしないですよね。でもね、単純にみことばを信じるんじゃなくて、自分の小さな小さな経験や判断、考えを土台にして、その範囲内でイエス様を信じるっていうこと、これ、彼らと似たり寄ったりだと思うんです。

或いは、イエス様じゃなくて、自分の内面をじーっと見つめ、これじゃダメだって自分を責めてしまうこと、これもそうです。


私たちの何かを通して、イエス様の働きを制限していたり、そんなの無理だって勝手に決めて、そこにイエス様の力も当て嵌め、制限していないのかっていうこと、すごく考えさせられますね。。。


単純が一番です。

みことばを素直に受け入れること、書いてあることを書いてあるとおりにアーメンと受け入れ、自分にみことばを合わせるんじゃなくて、みことばに自分を合わせること、これがとっても大切なんですよね。

だからこそ、自分の心を見張ることが大事なんですよね。そして、自分がみことばに服し、みことばに自分を合わせているか、みことばの価値観に自分を合わせているか、日々、瞬間瞬間チェックする必要があるんです。


これが健全なクリスチャンなんですよね


今日はこのみことばを味わいながら、そんなことを思い巡らしました


今週も主の見えざる御手の中でのこと、主に信頼し、イエス様を制限せず、単純にみことばをアーメンと受け入れ、自分をみことばに合わせる歩みが出来ますように。。。。


でわでわ~