キリストの優しい風

~風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、
それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。
霊から生まれた者も皆そのとおりである(ヨハネ3:8)~

キリストの優しい風に吹かれ、自由に導かれ、癒やされ、変えられていく幸せをあなたと。。。





イエス様

クリスチャンの成長って。。。

こんにちわ~

今日は一日蒸し暑かったぁ~~

こういう日ってほんと、疲れますねぇ~



最近ね、思わされることがあり、ずーーっと心の中でもやもやしています。

それは何かというと、クリスチャンの成長についてです。

最近、あることがきっかけで、聖書の学びだけというのは違うのかなって感じるようになったんです。


みことばの大切さ

みことばの力を知っているし、聖書のみことばは100%神様の啓示の書です。
つまり、神様のご計画は聖書の中に全部書かれています。

そして今日、旧約、新約聖書66巻、すべて完結しています。だから神様の御心を知りたければ、どこかの預言者とか、個人預言を求めて預言カフェとかに行く必要はないし、誰かに聞くのではなく、聖書から答えを求めるべきです。


だからこそ、聖書の学びって必要だし、本当に大切。

聖書は書かれた時代が違うし、文化も日本とは全くと言っていいくらいに違う。

だから今の時代に置き換えて読んだら、間違った理解となってしまうことがあります。

だからね、聖書の学び、バイブルスタディってほんと、大切なんですよね。

そして、みことばを学び、みことばを通して神様の御心を知り、みことばに従うようになると、人は変えられていきます。



これ、今もぼくのスタンスです。

バイブルスタディの大切さ、本当に実感してるし、聖書のみことばを通して人は変えられると思ってます。



でも、聖書の学びだけで本当にいいの?

でもね、いくら聖書の学びをし、知識を蓄え、人に教えられるようになってもね、その人の頭で止まっていたら、それは成長とは言えないですよね。

これ、とっても重要なんです。



ぼくたちは、みことばを学び、そのみことばに養われる必要があるし、みことばを通して神様と交わること、それが無い限り、いくら聖書を学んでも知識止まりだし、時に罪に対しても軽く扱い、傲慢になってしまいます。



ガラテヤ人への手紙2章20節には、こう書かれています。


☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○
私はキリストとともに十字架につけられました。
もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。
いま私が肉にあって生きているのは、私を愛し私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。
☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○




ぼくたちはイエス様の十字架と復活の福音を受け入れ、そこに信頼を置いたとき、イエス様と共に十字架につけられ、古い私たちはもはや死んだんです。

感じようが感じまいがね。



そうは言っても。。。っていう人のため、パウロはこう言っています。


☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○
ローマ6:11
このように、あなたがたも、自分は罪に対しては死んだ者であり、神に対してはキリスト・イエスにあって生きた者だと、思いなさい。
☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○


「思いなさい」ってあるけど、これ正しくは「認めなさい」です。

つまりね、ピンと来ようが来まいが、感じようが感じまいが、聖書にそう書いてあるから、そのことをそのままアーメンと認めなさいっていうことなんです。

だってね、それが客観的な事実なんですからね。


ぼくたちは空気を、冬の白い吐息とかは別として、普段見ないですよね。
電波が飛んでいることも、見えないけど、それは常識だし、当たり前ですよね。

それは、空気を吸うことで生きていることは当たり前だし、電波を通してテレビを見たり、スマホを利用したりしています。


それと同じで、ぼくたちはイエス様と共に既に死んだんだって、客観的事実として認めなさいって言ってるんです。



そして、ぼくたちの内にはイエス様が生きておられます。

だからどっかの預言者にお伺いを立てる必要は全く無いし、逆にそれは罪です。

だって、イエス様のとこに行かず、預言者のところに行ってるんですからね。



この内にいますイエス様と日々、みことばを通して交流をしないと、結局は頭でっかちで、みことばは理解しているけど、その人の心にまで届かないという現象になるんだなって、感じてるんです。

そして、そういう人は、律法的になりやすいし、みことばが凶器となり、みことばを使って相手を批判したり、裁いたりしてしまうんです。


結論:聖書の学び+神様との交わり

だからね、「聖書の学び+神様との交わり」、これが大切であり、それは車の両輪のようなものなんです。



日々、みことばに養われ、みことばを通して主との深い交わりを持つ者でありましょうね。


祝福を祈ります
キリストの愛を込めて。。。

じゃぁね~





 

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イエス様の祝福が豊かにありますように。

キリストの愛を込めて。。。



永遠に変わることのないお方に支えられながら。。。

こんにちわ~

今朝、味わったみことばです。



イエス・キリストは、きのうも今日も、また永遠に変わることのない方です。
ヘブル13:8



イエス・キリストは永遠に変わることのないお方、本当にそうだなぁって実感します。

世の中を見ると、あまりにも混乱しているし、今は自己中心の時代なんだなって思わされます。

個人レベルでも、いろんな不安や恐れがあるし、変な話、来年の今頃どうなってるんだろうって思うと、わからないというのが本音です。



でもね、そういう中にあって、イエス・キリストはきのうも今日も、また永遠に変わることのない方なんですよね。

そのイエス様は今、天において、ぼくたちのためにとりなし祈っていてくださっている。

そして、ぼくの内に住んでいてくださっている。

イエス様は今も生きていて、ぼくと共に歩んでいてくださっている、そのことを思うと嬉しくなります



そして、今この瞬間もイエス様の恵みに支えられています。

あぁ、クリスチャンであることって凄いことなんですよね。



主の愛に支えられ、今も生かされています
ハレルヤ


祝福を祈ります
キリストの愛を込めて。。。

じゃぁね~ 





 

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イエス様の祝福が豊かにありますように。

キリストの愛を込めて。。。





わたしに従いなさい

こんにちわ~

  ふぅ、今日も無事終わりました。

 
みことばのわかちあい、しますね。 

今朝、味わったみことばですが、ヨハネ21章、イエス様がペテロに3回「わたしを愛しているか」って質問された箇所です。

 で、その後のイエス様とペテロとの会話を味わいました。

  



☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆

ヨハネ21:20~22
ペテロが振り向くと、イエスの愛しておられた弟子がついて来るのが見えた。

この弟子は、あの夕食のとき、イエスの胸もとに寄りかかったまま、「主よ、裏切るのはだれですか」と言った人である。

ペテロは彼を見て、「主よ、この人はどうなるのでしょうか」と言った。

イエスは言われた。「わたしが来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたはわたしに従いなさい。」

☆★○☆★○☆★○☆★○☆★○☆


 

ペテロのチャレンジ

イエス様はペテロに3回「わたしを愛しているか」って言われたけど、ペテロはイエス様を3回裏切って、「知らない」って言ったんですよね。

 

その後、ペテロの心の中の悲しみ、後悔、それは計り知れないくらいの大きさだったと思います。

毎日のように「主よ、ごめんなさい。お赦しください」って悔い改めていたことでしょうね。

  

だからね、イエス様がペテロに3回「わたしを愛するか」って言われたのって、すごーく大きなことだったと思うんです。

 

 その後、イエス様はペテロに「わたしの羊を飼いなさい。はっきり言っておく。あなたは、若いときは、自分で帯を締めて、行きたくないところへ行った。しかし、年をとると、両手を伸ばして、他の人に帯を締められ、行きたくないところへ連れて行かれる」って言われました。

これ、ペテロの将来に対する預言です。ペテロが将来どんな迫害に遭うかっていう預言で、伝承によると、ペテロは十字架刑にかけられて死にますが、イエス様と同じでは申し訳ないって言って、逆さ十字架にかけられて亡くなったそうです。

これがペテロの殉教の死の姿です。

著者のヨハネはそのことについて「ペテロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして」イエス様が言われたんだって言っています。

 

で、その上で、イエス様は再度言われました。

「わたしに従いなさい」

 

赦されたペテロに対するイエス様のチャレンジ、そしてイエス様の弟子としてのライフスタイル、すごく考えさせられました。

イエス様への忠実さ、本当に大切ですよね。

 

 あなたはわたしに従いなさい

で、イエス様はおそらくその後、ペテロに御自身の再臨について言われたんでしょうね。

その後のペテロの反応、それが冒頭に書いたみことば、ヨハネ21章20~22節です。

 

ペテロ、ヨハネを見て、ヨハネはどうなるんだろうって思ったんでしょうね。

そんな好奇心から「主よ、この人はどうなるのでしょうか」って聞きました。

 

するとイエス様、こう答えられました。

「わたしの来るときまで彼が生きていることを、わたしが望んだとしても、あなたに何の関係があるか。あなたは、わたしに従いなさい」

 


あなたはわたしに従いなさい

あの人、この人じゃないんです。

神様はそれぞれにふさわしい賜物を用意し、召しを用意し、一人一人、各個人のためにご計画をもたれているんです。

その与えられている召しに対して忠実であり、全うしなさい。

イエス様はここでそうペテロにおっしゃったんです。

 

ペテロだけじゃなくて、今、自分自身にも語られているんだなぁって思わされました。

私たちひとりひとりに与えられている召し、それはキリストの弟子となることであり、罪から離れることです。

 

ヘブル12章14節にこうあります。


すべての人との平和を、また聖なる生活を追い求めなさい。聖なる生活を抜きにして、だれも主を見ることはできません。
神の恵みから除かれることのないように、また、苦い根が現れてあなたがたを悩まし、それによって多くの人が汚れることのないように、気をつけなさい。

 

 

罪があると神様を見ることは出来ないって、ヘブル人への手紙の著者は言っています。

そう、イエス様に従うためには何よりも罪から離れることですよね。

 

この世はサタンの支配下であり、サタンのものです。

だからクリスチャンは攻撃を受けるんです。

そして、私たちの心にいつも誘惑してくるのもサタンです。

その罪の誘惑に対して常に拒否し続けること、そしてみことばを学び、みことばに忠実になること、これなんです。

 

ぼくたちはキリストの弟子として招かれています。

「わたしに従いなさい」

これがイエス様の招きのおことば。

 

罪から離れ、聖なる生活を追い求め、聖書のみことばに忠実に従う歩み、それこそがイエス様に従う歩みなんです。

 

ぼくたちはみんな弱さを抱えているし、失敗しちゃうこともあります。

でも、常にイエス様に立ち返り、罪を悔い改め、イエス様に従う歩み、していく者でありたいですね。

 

今週も後半に入りますが、主に従う日々でありますように。。。

 
祝福を祈ります
キリストの愛を込めて。。。

でわでわ~ 

 



 

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イエス様の祝福が豊かにありますように。

キリストの愛を込めて。。。




 

携挙の恵み

こんにちわ~

今週も無事終わりました

ほっ

今日もこうやってブログやれてること、とっても感謝です。



さてさて、Twitterに今日ツイした内容です。 







この箇所、とっても有名な箇所で、「喜び・祈り・感謝」ってよく言って、賛美もありますね。

有名なんですが、その内容の意味とか、深みとか、パウロがどういう思いでテサロニケの人々に向けてこの言葉を書いたのかって伝わってきません。


でも、この箇所だけピックアップするんじゃなくて、テサロニケ人への第一の手紙全体を読んで、その流れっていうか、文脈の中でこの「喜び・祈り・感謝」箇所を味わうと、ほんと、深いんです。

っていうか、印象がガラッと変わります。



このみことば、もう一度改めて書きますね。





☆★○☆★○☆★○☆★

第一テサロニケ5:16~18
いつも喜んでいなさい。
絶えず祈りなさい。
すべての事について、感謝しなさい。
これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。

☆★○☆★○☆★○☆★



ぼくたちは時に喜べないこともあります。

口ではいくらでも「喜びましょう~」とか「感謝しましょう~」みたいなこと、言えますが、でも、実際、喜びどころか、不安に押しつぶされそうになることがあります。

大切な人を亡くした悲しみ、それもですよね。。


でもね、パウロはそんな無責任な思いでこんなことを言ってるんじゃないんです。

きれい事じゃなくて、本当に苦しい迫害の中、将来、再臨のイエス様にお会いすることが出来る、まもなく私たちは携挙され、イエス様とお会いするんだっていうところから来る喜びなんです。


初代教会の信者たちの希望、喜びって、携挙されること、イエス様がまもなく戻って来られるというところにあるんです。



同じ第一テサロニケ4章16~18節にはこうあります。




☆★○☆★○☆★○☆★
主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。
それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主とあうのです。
このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。
☆★○☆★○☆★○☆★





 これを「携挙」っていうのです。

そしてこの携挙はまだ起こっていませんが、これから、というか、まもなく起こる出来事です。

神様のラッパが鳴り響き、イエス様が私たちクリスチャンを迎えに天から空中まで降りて来てくださります。

そしてその時、先に亡くなったクリスチャンの方々がよみがえるのです。

もちろん肉体をもってね。

でもその時、専門用語で「栄化される」っていうんですが、栄光のからだにされてよみがえります。

栄光のからだって、 傷も染みもない姿です。

もはや罪もありませんし、罪を起こそうという概念すらその人にはありません。

だからね、アンチエイジングなんて、もはや死語だし、当然全員完全すっぴんです。

だって、イエス様の栄光で輝いているんだから、もうお化粧なんて必要ありません。

それとね、病気だって無いんですよ。

そして栄光のからだにされて、空中まで迎えに来られたイエス様のもとに一挙に上げられていくんです。 


そしてね、次にその時に生きている人たちは、瞬間的に栄光のからだに変えられて、一挙に天にあげられます。


そして、天に上げられて、待っているのは、イエス様との結婚式です。

霊的には男性であっても女性であっても、イエス様の花嫁で、クリスチャンはイエス様との婚約中で、イエス様が迎えに来られるのを今か今かと待っている状態なんです。

そして、携挙されて、イエス様との結婚式です。


私たちは携挙され、祝福の内に結婚し、イエス様を賛美し、ほめたたえます。

そう、礼拝です。


そして、イエス様が再臨されます。

その時、私たちもこの地上に戻って来て、私たちと同じ異邦人のクリスチャンを治める働きをするんです。



パウロは、そのことを本気で信じていて、その日がわかっていて、それは確実に起こることを知っているから、だから喜ぶことが出来たんです。

パウロは地獄のような迫害を受けていましたが、その中でのモチベーションは「携挙」だったんです。



パウロは「こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい」って言われました。



イエス様はまもなく、私たちを迎えに来てくださいます。

そして、安心してください。私たちクリスチャンは一人も、一人も失格者はいないんです。

そう、救いは絶対に絶対に失いません。

一度救われたら、たとえ罪を犯しても、失敗しても、たとえ法に触れるような犯罪を犯してしまったとしても、失うことはありません。

自殺したとしてもです。


そして、試練の中にあっても、悲しみの中にあっても、イエス様は私たちの内に住んでいてくださっています。

ここに希望があり、そこに信頼すること、これが祈りなんです。


このことがわかっているから、そしてまもなく迎えに来てくださるから、感謝が生まれてくるんです。



ぼくたちはこの地上生活だけを考えていたら、死後に希望を見いだせなかったら、それは地獄であって、喜ぶことも、感謝することも出来ないでしょう。当然です。

でも、まもなくイエス様がぼくたちを迎えに来てくださるんです。

ハレルヤ、そこにこそ希望があり、喜びがあるんです。



主に信頼すること、主の愛の守りに身を任せること、そして携挙を待ち望みましょうね。

ここに深い深い慰めがあります。

主よ、来てください。。。



明日から新しい一週間、そして週の初めの日である明日、日本中で礼拝がもたれます。

心から主を賛美し、主を礼拝する日となりますように。。。



祝福を祈ります
キリストの愛を込めて。。。

でわでわ~  







 

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キリストの愛を込めて。。。





 

神の子である恵み♡

こんにちわ~

最近、ハマってる賛美があります。

「神の子」っていう賛美です。







 
神の子

何が出来ても 出来なくても
何を得ても 失っても

ただ愛されてる 天の父に
私は神の子




これ、本当にシンプルな曲なんですが、すごく真理なんです。


新約聖書のローマ人への手紙8章15~16節にこう書かれています。





あなたがたは、人を再び恐怖に陥れるような、奴隷の霊を受けたのではなく、子としてくださる御霊を受けたのです。私たちは御霊によって、「アバ、父」と呼びます。

私たちが神の子であることは、御霊ご自身が、私たちの霊とともに、あかししてくださいます。
 
 



私たちは今、子としてくださる霊を受け、神の子とされています。

でもね、これ、当たり前のことじゃなくって、凄いことなんですよ。

だって、本来滅びへと一直線だったのが、私たちです。


神様から離れ、神様を無視し、自分の価値基準で生き、罪の中に生きて来たのが私たちです。

でも、そんな私たちが神様の一方的な恵みによって救いへと選んでくださり、しかも「神の子」としてくださったんです。


これが私たちです。


「ただ愛されている」「私は神の子」、このフレーズは本当に甘いです

この真理がわかると、それがどんなに凄いことか、恵みなのか、深く深く思わされます。




でもね、今日、ふと思ったんです。

それは、残念ながら、クリスチャンの多くはこの部分、神様に愛されている、神様の子どもなんだっていうことが曖昧なんじゃないのかなっていうことです。




昔、ある人がこんなことを言っていました。

「私は神様の愛とか、なかなかピンと来ない。だから伝道している、奉仕しているんだ」


でもね、ぼくたちが何が出来ようが、出来まいが、全く関係無く、ただ神様に愛されているんです。

そして、私たちは神様の目に入れても痛くない最愛の息子であり娘なんです。


たとえ何も出来ないとしても、自分には取り柄なんかないなぁ、賜物?誰も何かあるっていうけど、私はうーーん。。。あの人はあんなに教会で奉仕してるし、ああなりたい、、、でも出来ない。。。

もしかしたらそう思っている人もいるかもしれません。


でも、そういうことよりも、遙かに神様に愛されている息子であり娘なんだっていうことを受け入れ、そこに安住している方が遙かに祝福されています。

だって、神様に愛されているんだもん。たとえ何もしていなくても、なんの引けも感じる必要無いですし、人がどう思おうが、私の最高のお父さんに認められ、愛され、受け入れられているんだもん。

神様に愛されている息子であり娘なんだっていう自覚、これ、大事ですよね。


自分の価値観を強要されたり、虐待を親から受けてきた人は、特にこの部分は弱いかも知れません。

でも、天のお父さんは、肉のお父さんとは違います。

天のお父さんは絶対に責めることはないし、正しい道に進むように、ご自身の似姿に変えるために、時に試練は与えられるけど、でもそれも愛故にです。


ぼくたちは愛されてるんです。最高の愛で愛されてるんです。

あなたのためにぼくたちのお父さんは、ご自身の御子を人としてこの地に誕生させ、十字架にかけられたんです。

そこまで愛されているんです。


だから安心できるんです。

神様に愛してもらいたくて奉仕するのと、愛されてるから安心して奉仕するのとでは大きな大きな違いがあります。



ぼくたちは天のお父さんにただ愛されている最愛の息子であり、娘なんだっていうこと、そこに身を任せましょう。

今年一年、その愛で満たされ、もう愛されるために何かをするっていうことから解放される一年となりますように。


ぼくたちが何もしなくても、天のお父さんの愛の眼差しは変わりません。

ただ愛されている神の子なんですから、ハレルヤ


祝福を祈ります

キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~





 

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キリストの愛を込めて。。。


聖霊の優しい風に吹かれて。。脱力系クリスチャンを目指して

こんにちわ~

今日も暑かったですね~

汗びっしょり、夜も熱帯夜~ 

こう暑いと、もうこのまま梅雨明けちゃえばいいのにって思っちゃいます。

でもまだ2週間くらいは明けないんでしょうね。。。



さてさて、これまでいろんなブログサービスでやって来ましたが、いろいろ考え、迷い、とりあえず、このlivedoorブログでやることとしました。

特にランキングサイトから来られる方は、来る度にFC2になってたり、livedoorになってたりで、どっちなんだ?!って感じられた方もおられるのかなって思います。

実は、どちらも捨てがたいんです。

FC2ブログはテンプレートってブログのデザインが豊富で、最新ので、すごく気に入ってます。

それでどうしよっかなぁって迷っていました。



でも、このlivedoorブログ、実は常に何人もの方が訪問してくださっているんです。

それが本当に嬉しくて、それで、このlivedoorブログでこれからやっていくこととしました。


で、このlivedoorブログなんですが、今、LINEの中に組み込まれていることもあり、更新する度にLINEに更新情報が、登録したアカウント経由で教えてくれるんです。

なので、ぜひぜひ下のグリーンの「LINEで読者になる」っていうボタンをクリック(タップ)してくださいね。

クリック(タップ)した後は、その指示に従って進めばOK、そうしたら、このブログが更新されるごとに、更新しましたよ~ってお知らせします。





で、話は変わりますが、ブログのタイトルのことを書きますね。

このブログのタイトルは「キリストの優しい風」です。

このタイトルは、ヨハネの福音書3章8節から付けました。


風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。
霊から生まれた者も皆そのとおりである。



「霊から生まれた者」、これは新改訳聖書では「御霊によって生まれる者」って訳されていますが、これ、ぼくたちクリスチャンのことです。

風は主の思いのままに吹きます。

ぼくたちはその風の流れに身を任せ、その風に導いて頂けばいいんです。



風はいつ吹くかわかりません。

今かもしれないし、明日かもしれない。

でも、神様の時に、その吹いて来た風に身を任せるとき、神様は正しい方向へと導いてくださり、ご自身の栄光を現してくださいます。



だからね、頑張んなくていいんです。

自然に、風の吹くその流れにただ身を任せるだけでね 

そう、自然体で、リラックス、これがクリスチャンライフなんです。



だからね、クリスチャンって、実は冒険と祝福に満ちてるんです。

そんなこと言ったって。。。。

そうですよね、でもクルシチャンになっちゃうのって、何とかしなきゃって頑張っちゃうからなんだと思うんです。

やっかいなのは、「神様の栄光のために~」とか、「神様に喜ばれるために~」ってがんばっちゃう、そう、あのマルタ型。

結果、疲れちゃって、神様に、人に愚痴っちゃって。。。。



実を言うと、まだぼくの内にはこの部分、残ってます。

でもね、自然体で、主の風に導かれるままに行動することの大切さを味わい知り、自由を味わってるんです。


だからね、このブログ、その恵みを分かち合い、一緒にキリストの優しい風に身を任せ、自由を味わう歩みが出来たらなぁって願って、それでこのブログのタイトルを「キリストの優しい風」にしたんです。




下の動画、このヨハネ3章8節からの賛美です。

とってもいいですよ~







聖霊の風

聖霊の風の 流れの中に
私は身をゆだねます

神様の命の流れの中に
私の命もあずけます



聖霊の風よ 愛のそよ風よ
私を取り囲み

思いのままに 溢れ出て
思いのままに 溢れ出て




ほんと、一緒に聖霊の風に流されるままに導かれていきたいですよね。

肩の力を抜いて、聖霊の風に導かれ、キリストを楽しむ歩み、これを目指しています。


そう、脱力系クリスチャンです。


まだ、古い肉の思いがムクムクと出て来ることがあり、葛藤もあり、戦いもありますが、でも、そういう中でも、悔い改め、主の命の流れに身を任せる、そうやって一歩一歩解放され、自由にされていくんです。



そして、風が吹いてきたときに、すっと乗れるためにも、日々みことばを味わい、みことばを楽しみます。


そんなこんなで、ぜひぜひ、いっしょに脱力系クリスチャン、目指し、イエス様を楽しみ、エンジョイしましょう
 


祝福を祈ります

キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~





 

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