こんにちわ~

今日は久しぶりの晴れ、ず~~っと雨、雨、雨でしんどいなぁ~って思ってたんで、久しぶりの青空に癒やされる一日でした。

やっぱ、晴れ、いいですよね。

ここ数日、お疲れモードだっただけに、モヤが取れたみたいな、ホッとしています。

とはいうものの、今夜は熱帯夜、明日はすご~く暑いみたいですけどね~



さてさて、話は変わるんですが、今朝、みことばを味わいました。ルカ17章です。

弟子としての奉仕の在り方について、イエス様がお話されている箇所です。




使徒たちは主に言った。「私たちの信仰を増してください。」


しかし主は言われた。「もしあなたがたに、からし種ほどの信仰があったなら、この桑の木に、『根こそぎ海の中に植われ』と言えば、言いつけどおりになるのです。


ところで、あなたがたのだれかに、耕作か羊飼いをするしもべがいるとして、そのしもべが野から帰って来たとき、『さあ、さあ、ここに来て、食事しなさい』としもべに言うでしょうか。


かえって、『私の食事の用意をし、帯を締めて私の食事が済むまで給仕しなさい。あとで、自分の食事をしなさい』と言わないでしょうか。


しもべが言いつけられたことをしたからといって、そのしもべに感謝するでしょうか。


あなたがたもそのとおりです。自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、『私たちは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです』と言いなさい。」






この箇所の前半は昨日分かち合いましたね。

今日はこの箇所の後半を味わったんです。


今日味わったのは、忠実なしもべについてです。


ぼくたちの社会の中で、しもべとか言われても、正直ピンと来ないですよね。

だからね、この箇所を読んでもなかなかピンと来ないというのが本音でした。


ねぇ、主人が帰って来て、優しい主人だったら、きっと「ごくろうさま、一緒に食べよ」って言うんじゃないのかなぁとかね。

でも、これ、何度も言ってますが、悪い例ですよね。現代に置き換えて聖書を読むことはとっても危険です。


でね、当時の習慣はどうったのかというと、そんな「一緒に食べましょう」なんて言う主人はどこ探しても一人もいません。

むしろ主人はしもべに食事を当たり前のように作らせ、用意をさせました。

じゃぁしもべはいつご飯を食べるのかというと、主人が食べ終わってからです。


で、しもべが忠実に一生懸命に働いたからといって、主人はしもべに感謝を表すようなことはしませんし、ありがとうのあの字も出ません。

だって、しもべは忠実に仕えて当たり前ですから。

これがイエス様の時代の主人としもべの関係なんです。



でもイエス様、こうやって見ると、当時の人たちの生活に密着した話をされていますよね。

きっと聞いている側はすご~~~くわかりやすかったことでしょうね。



あなたがたもそのとおりです。自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、「わたしは役に立たないしもべです。なすべきことをしただけです」と言いなさい(10節)。

イエス様、ここで弟子の姿勢についてお話されています。

この主人としもべの関係を通して、イエス様の弟子としてどういうスタンスでいるべきなのかについてお話されたんです。


ここ新共同訳聖書では「わたしどもは取るに足りない僕(しもべ)です。しなければならないことをしただけです」、口語訳聖書では「わたしたちはふつつかな僕(しもべ)です。すべき事をしたに過ぎません」と訳されています。


この箇所を味わいながら、ここには自己主張はないなぁっていうことを感じました。

「これだけやったから」とか、「ちっとも認めてくれない」とか、自分の権利を主張したり、見返りを求めたり、そういうことは全然ないですね。

逆に「取るに足りない僕です」って、そこにあるのは自己主張や我を張るんじゃなくて、しもべとしてのへりくだりです。



自分の内にどれだけあるんだろうって考えさせられました。

でも思ったんですが、イエス様こそ、このスタンスだったんですよね。

だって自己主張せず、父なる神様の御心だけを行い、父なる神様の御心をいつも第一とされていました。

しかも十字架にまでかかられ、最後の最後まで一切自己主張せず、まさに「取るに足りないしもべです」のスタンスだったんですよね。



あぁ、まだまだ足りない者だし、自己主張が出てしまう面も多々あるんですが、でもね、一歩一歩、この「取るに足りないしもべです」のスタンス、イエス様の弟子として、へりくだり、しもべの心で歩んでいきたいなって思わされました。

でも、これも自分の力で、がんばって「しもべになるんだ~~」ってやっちゃダメですよね。

これやった瞬間にしもべじゃなく、自己主張になっちゃいますよね。


ぼくらが努力してしもべの心を身につけるんじゃなくて、内なる聖霊にしていただくんです。

だからね、聖霊に対して心をオープンにしている必要があるんですよね。


私たちじゃなくて、主にしていただく。これなんですよね。

だって、すべては主の御手の中でですからね




今日一日、そんなことを思い巡らしていました。

明日は土曜日、一週間の最後の日、明日も主に信頼し、しもべの心で歩んでいけますように


でわでわ~