キリストの優しい風

~風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、
それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。
霊から生まれた者も皆そのとおりである(ヨハネ3:8)~

キリストの優しい風に吹かれ、自由に導かれ、癒やされ、変えられていく幸せをあなたと。。。





カテゴリ:バイブルスタディー > ローマ人への手紙

こんにちわ~ 

今日も無事一日が終わりました。ふぅ~



今日もみことばを分かち合いますね。

こうやって一日の終わりにみことばを分かち合えること、とってもとっても感謝です。


でね、今日はローマ人への手紙から分かち合いますね。




ローマ1:16

私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。
 

この箇所から二つのことを分かち合いますね。


信じるすべての人

「福音は、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です」ってありますね。

パウロは 福音に完璧な信頼を置いていて、それを誇りとしていましたが、その理由がこれなんです。


「すべて」ってありますね。

救いはすべての人に差し出されています。

それが神様の御心ですもんね。


でもね、じゃぁ、みーーーんな、すべての人が救いを経験するのかっていうと、そうじゃないです。

救いを受ける方法は信仰です。信仰によって受け取る以外に救われる方法はないです。


じゃぁ、その信仰って何かというと、以前お話しした「福音の三要素」です。

  1. イエス様が私たちの罪のために十字架にかかられたこと
  2. 死んで墓に葬られたこと
  3. 三日目に復活されたこと

これを信じ受け入れ、そこに信頼をおかなければ、救われているとは言えません。

ときどき、「教会に行っています、だからクリスチャンです」とか、「洗礼をちゃんと受けています、だからクリスチャンです」っていう人がいますが、残念ながら、それではクリスチャンだとは言えません。

いくら毎週教会にまじめに通ってるからと言っても、洗礼を受けたからと言っても、上の福音の三要素を信じ受け入れなければ、その人は求道者ではあるかもしれませんが、まだ救われていません。

もし、マリヤが処女でイエス様を産んだことやイエス様が三日目に復活されたことを疑っていたり、信じていないなら、まだクリスチャンではないのです。


これが福音であり、この福音こそ、私たち救われた者の原動力であり、神の力なんです。

その力は、今回、オバマさんが広島に来ましたが、その核兵器よりも遙かに強い力です。

そう、福音ってそれだけの力があるんです。



まずユダヤ人、そしてギリシヤ人

 パウロは「福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です」って言っていますね。

これ、直訳すると「福音は、まずユダヤ人に対して、そしてギリシヤ人に対して」ってなります。

つまり、福音はまずユダヤ人に伝えられ、次にギリシヤ人に伝えられるっていうことで、福音を伝えるのには、神様が計画された順序があるっていうことです。



この16節の箇所、動詞は一つで、現在形です。

現在形という時制は、今もその真理が有効であるということを教えています。

つまり、福音は神様のものすごい力なんだっていうことは、今も変わらないということです。

そして、このパウロが語っているパターン、「福音は、まずユダヤ人に対して、そしてギリシヤ人に対して」っていう順番も、今も変わらず有効なんです。


パウロはね、この「まずユダヤ人に、そしてギリシヤ人に」っていう福音を伝える順番を必ず守り、一回も崩していません。

使徒の働き13章4~5でのパウロの最初の伝道も、28章23節のローマでの伝道もそうでした。

パウロは新しい宣教地に行くと、まずユダヤ人に福音を伝え、それから異邦人伝道に向かいました。

必ずです。



まずユダヤ人に、そして異邦人に

今の時代にもこれは当てはまります。

でも、ユダヤ人の知り合いとかいないし。。。。

そう思われたかもしれませんね。


そうなんですよね、直接ユダヤ人の人を知らないですよね。

でもね、祈ることは出来ますよね。

かれらのの祝福と、ユダヤ人の救いのためにです。


神様のご計画は、まずユダヤ人に、そして次に異邦人にっていう順番です。

ぼくたちもまた、家族や友だちのため、日本のために祈り、福音を伝えることはとっても大切なんですが、それと同時にユダヤ人がイエス様と出会い、彼らの心が開かれ、福音が受けいられるようにって祈ること、大切なんですよね。


今日、この箇所を味わいながら、そのことを思わされました。


祝福を祈ります

キリストの愛を込めて。。。 


でわでわ~ 






 

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イエス様の祝福が豊かにありますように

キリストの愛を込めて。。。



 

こんにちわ~

前回に続いて、ローマ人への手紙から教えられたことを分かち合いますね



ローマ1:16~17
私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。
 



前回も書きましたが、パウロは「私は福音を恥とは思いません」って言いました。

それは、パウロは福音に完璧な信頼を置いていて、それを埃としていたということです。




でね、どうして福音に完璧な信頼を置くことが出来るのかというと、それはね、「福音は、救いを得させる神の力」だからなんです。

だから、パウロは「福音を恥とは思わない」って言ってるんです。

で、パウロは「救い」ということを凄く強調し、なんと1章から8章まで、これだけの長い量を裂いて「救い」について語っているんです。



そこで、今日はこの「救い」について、ご一緒に学ぶこととします。

「救い」って言いますが、実は救いには3つの要素があるんです。



1、義認

まず「義認」ですが、これは過去形の救いです。

この義認はイエス様の十字架と復活の福音を信じ受け入れた瞬間に与えられる祝福です。

信じた瞬間にです。



この義認というのは、罪とは無縁になり、聖められてた存在になるとか、善良な人になるっていう意味じゃ無いです。

そうじゃなくて、父なる神様との関係が変化し、父成る神様と和解したということです。

そして、これは法廷用語なんです。



2、聖化

 次に「聖化」ですが、これは現在進行形の救いです。

この聖化って、救いの完成に向かうプロセスで、今ぼくたちはこの聖化の課程にあるんです。

つまりね、工事中、制作中なんです。

一日一日、イエス様の似姿に変えられています。その変えられている最中です。

だから完璧な状態じゃないんです。



これ、そんなまだまだ~って思うこともあると思います。

ミスったり、落ち込んだりすると特にね。。。



でもね、感じようが感じまいが、少しずつ、私たちのペースに合わせて、神様はぼくたちをイエス様の似姿に変えてくださっているんです。



3、栄化 

そして「栄化」、これは未来形の救いです。

この栄化が救いの完成です。


ぼくたちはイエス様を受け入れ、救われます。

そして救われた瞬間に義認を受けます。

そして、同時に聖化の課程に入ります。

この聖化の完成が栄化なんです。



ぼくたちは言わば「coming soon」の状態なんです。

そして日々の歩みの中、時に失敗や問題を通して、イエス様の似姿に変えられていくんです。

そして完全にイエス様の似姿になる時が来ます。

その時には、もう罪とは無縁の状態となるんです。

傷や染みもありません。もちろん老化とかもありませんし、肌荒れや体重も気にしなくてOK。

栄光の体に変えられるんです。



パウロが「福音は救いを得させる神の力」だって言ったのは、ぼくたちクリスチャンは必ず将来栄光の体に変えられるからなんです。



だってね、もし義認だけだったら、それは本当の意味のでの救いじゃないですよね。

聖化も栄化もすべて必ず実現します。

それは夢じゃないですよ、現実です。



主は今この瞬間もご自身の似姿にぼくたちを造り替えてくださっているんです。

そこに信頼を置き、主に信頼し、ゆだねるんです。



お互いに、この福音の恵みを味わい、栄化に向かって今があることを受けとめ、心からの感謝をしましょうね


祝福を祈ります

キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~

こんにちわぁ~

今日も無事に終わりました、ふぅ~

そして、今週も無事に終わりました~

主よ、感謝します




さてさて、今日はローマ人への手紙の1章を味わい、「救い」っていうことについて学びました。

そのことを分かち合いますね。



1章16節にはこうあります。



私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシヤ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。






「私は福音を恥とは思いません」

パウロにとって福音は特別で、力があり、完璧な信頼を置いていたんですね。


この福音って何かというと、第一コリント15章3~5節です。



私があなたがたに最もたいせつなこととして伝えたのは、私も受けたことであって、次のことです。

キリストは、聖書の示すとおりに、私たちの罪のために死なれたこと、また葬られたこと、また、聖書の示すとおりに、三日目によみがえられたこと、また、ケパに現れ、それから十時で詩に現れたことです。
 


つまり、

キリストは私たちの罪のために死なれたこと
墓に葬られたこと
三日目によみがえられたこと

それを信じ、キリストをそのようなお方として信頼した人は救われるのです。

それは瞬間的にです、そう、信じた瞬間にです。




これこそが福音です。

パウロはこの福音の内に神様の力があるんだって堅く信じていたんです。




旧約聖書のイザヤ書55章11節にこうあります。



そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。

必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。


パウロはパリサイ派のラビでもありました。

だから、もちろんギリシャ語だけではなく、ヘブル語も堪能でした。

そして旧約聖書にも精通していました。

だから、このイザヤ書のみことばもよく理解していて、もしかしたらこの箇所が頭にあったのかもしれませんね。




旧約聖書に精通していたパウロは、神様のことばの力を信じていました。

この「神のことば」の究極はというと、そう、イエス・キリストです。

つまり、イエス・キリストには力があるんです。




パウロは確信していました。

神様の口から出たみことばは絶対にむなしく地に落ちるようなことはないということを。

そして、ご自身の計画が成し遂げられ、言い送ったことを成功させてくださるお方だということを。




パウロはこの福音に全幅の信頼を置いていたんです。

ぼくたちもそうなんですよね、この福音に、まさにイエス・キリストに全幅の信頼を置き、依り頼んでいきたいですね。




毎日の歩みはいろんなことがあり、時に不安に襲われたり、落ち込んだりすることもあります。

でもね、どんなときでも福音には力があるんです。

そして「わたしの口から出るわたしのことば」、つまり神のことばであるみことばにしっかり立ち、目の前に見えることや、回りの声や常識とかではなく、みことばに立ち、主を見つめ続けていきたいです。




目の前の状態を見ると心震え、不安になります。でも、その目をイエス様に移し、イエス様に依り頼むと安心です。


祝福を祈ります

キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~ 


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