キリストの優しい風

キリストの優しい風に吹かれ、自由に導かれ、癒やされ、変えられていく幸せをあなたと。。。

カテゴリ:恵みの分かち合い > みことば

こんにちわ~

2017年になって、早いもので7日経ちました。

今年は、ブログ、いろいろとアップしていきたいなぁって思ってます。

って言っても、もう約一週間経っちゃいましたけどね。。。 



さてさて、今、旧約聖書の創世記に出て来るノアの箇所を味わってます。

これ、有名な箇所で、未信者でも知っている人が圧倒的だと思います。


でね、今年に入って、ずっとノアの箇所を味わってるんですが、ノアの信仰を通していろんなことを教えられています。



ノアのいた時代、悪霊と人間の女との間に出来たネフィリムという超人がいました。

これは、神様がアダムの子孫から出る救い主によってサタンを砕くという約束を阻止するためにやったことです。


そして、この世代は悪に満ちて、それがもはやピークとなってたんです。



創世記6章7節で神様はこう仰っています。

わたしは人を創造したが、これを地上からぬぐい去ろう。人だけでなく、家畜も這うものも空の鳥も。
わたしはこれらを造ったことを後悔する。


これを読むだけで、当時の人たちが如何に酷かったか、罪が蔓延し、もはや滅ぼすしかないという頂点にまで達してしまったという酷い状態が容易に想像できますよね。



でもね、そういう中で、ノアの評価は違っていたんです。

ここは口語訳聖書の訳が一番いいので、それを書きますね。

しかし、ノアは主の前に恵みを得た」(創世記6:8)


そう、ノアは主の前に恵みを得たんです。

ノアもまた罪人です。彼も日々の歩みの中で罪を犯すことがあります。

でも、彼は周りの人たちの流れというか、彼らに対して同調せず、一緒になって悪を行うことはありませんでした。

だから、神様の前に恵みを得たんです。



ノアの義ってなんだろうって思わされます。

それは、彼が全く罪を犯さない凄い人だっていうことじゃなくって、神様に従い、神様に忠実な人だっていうことなんです。


新約聖書のヘブル人への手紙11章7節にこうあります。

信仰によって、ノアは、まだ見ていない事がらについて神から警告を受けたとき、恐れかしこんで、その家族の救いのために箱舟を造り、その箱舟によって、世の罪を定め、信仰による義を相続する者となりました。」

それ故、ノアは神様の恵みを得たんです。 



でもね、このノア、本当に神様に対して忠実で、神様に従順な人だったんですね。

ノアは、すべて神が命じられたとおりに果たした」(創世記6:22)

この箇所からわかります。 


神様はノアにご自身の計画を伝え、箱舟の造り方を教え、造るように命じたんだけど、ノアは何一つ口答えすることなく、「そうは言っても。。。」とか言うこともなく、言われた通りに行動しました。


ノアの信仰、今年のスタートにふさわしいっていうか、一年の初めにあたり、ノアのように神様に従う一年としたいです。


また、ノアについて、書きますね 


とりあえず、この辺で。。。



でわでわ~ 





 

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新年明けましておめでとうございます

2017年、ついに明けました。今年、どんな年になるんだろう。。。

今、そのことを思い巡らしています。


今年、示されているみことばがあります。

マルコ4章35節からの箇所で、イエス様が弟子たちを連れて、ガリラヤ湖の向こう岸に渡ろうとしている箇所です。




マルコ4:35〜41
さて、その日のこと、夕方になって、イエスは弟子たちに、「さあ、向こう岸に渡ろう」と言われた。

そこで弟子たちは、群衆を後に残し、舟に乗っておられるままで、イエスをお連れした。他の舟もイエスについて行った。

すると、激しい突風が起こり、舟は波をかぶって、水でいっぱいになった。

ところがイエスだけは、とものほうで、枕をして眠っておられた。弟子たちはイエスを起こして言った。

「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思わないのですか。」

イエスは起き上がって、風をしかりつけ、湖に「黙れ、静まれ」と言われた。すると風はやみ、大なぎになった。

イエスは彼らに言われた。「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです。」

彼らは大きな恐怖に包まれて、互いに言った。「風や湖までが言うことをいくとは、いったいこの方はどういう方なのだろう。」




イエス様は「さあ、向こう岸に行こう」って言われました。

弟子たちはイエス様をお連れして、舟に乗り込み、ガリラヤ湖の向こう岸に向かったんですが、突然激しい突風が吹いてきて、舟は波をかぶって水いっぱいになりました。

漁師であった弟子たちでさえも、この突風にはどうすることもできなくて、思いっきりパニクっちゃいました。

恐怖でいっぱいだったんでしょうね。


でも、イエス様はこんな大変な時、なんととものほうで、枕をして眠っておられたんです。

弟子たちのここでの発言で、どれだけ弟子たちが恐怖心でいっぱいだったのかがわかりますね。

「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思わないのですか」



恐怖でパニクる弟子たち、そして眠っておられたイエス様、すごく対照的です。

これ、天のお父様に信頼しきっているイエス様と目に見える現状を見ておろおろする弟子たち、この違いは大きいですね。


本来、弟子たちはイエス様がいるから大丈夫な筈です。

イエス様を見つめ、イエス様に信頼しているべきです。


ところが、彼らはイエス様じゃなくて、目に見える状況に翻弄され、結果パニクりまくりです。




イエス様は弟子たちに 「どうしてそんなにこわがるのです。信仰がないのは、どうしたことです」って言われました。

弟子たちとイエス様、同じ空間におられるので、イエス様に対する信仰を持っていたら、こんなにあたふたすることはなかった筈です。



ぼくたちも同じですよね。

イエス様がおられるのに、まるで自分一人、ひとりぼっちのようにあたふたする。

周りの人の意見を聖書よりも重視する。

これ、この時の弟子たちと全く同じです。


そして、これ、ぼくたちの弱さなんですよね〜



2017年、 始まるにあたり、このみことばが示されたんです。

イエス様はぼくたちにも「さあ、向こう岸に行こう」って言われています。

向こう岸に行くまでには、突風や嵐が起こることが多々あります。

ある意味、その連続かもしれませんね。



でも問題は、そのとき、イエス様に信頼し、お任せするか、目に見える現状を見てあたふたするか、そのどちらを選び取るかなんですよね。



今年、2017年、イエス様が天のお父様に信頼しきっていたように、イエス様に信頼し、御手の確かさにゆだねる歩みをしてきたいなって思ってます。

でもそれも、自分の力で「イエス様に従うぞ〜〜〜!依り頼むぞ〜〜〜〜!」ってやるのはアウトです。

そうじゃなくて、イエス様に信頼し、内にいます聖霊に導いていただくべく、お任せするんです。



2017年、主よ、あなたの御手にすがり、あなたに導かれるままに導いてください。

キリストの弟子として、あなたが舟のとものほうで眠っておられたように、あなたの御手の中で休む歩みをしていけますように



今年もよろしくお願いします


でわでわ~



 

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こんにちわ~

今日も、そして今週も無事終わりました

それにしても蒸し暑いし、梅雨らしいって言えばそれまでなんですが、ジメジメしてスッキリしない天気が続いていますね。

最近、ちょっとお疲れ気味。。。


最近、すごく思わされていますが、やっぱみことばだなぁって感じています。

っていうか、みことばにこだわりたいなぁってね。



詩篇119:130(口語訳聖書)
み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。


このみことば、大好きですし、ほんと、そうだなぁって思わされます。

みことばの光って、無学な者に知恵を与えるんです。

聖霊によって、私たちの心にみことばの光が照らされると、真理がわかり、真理は私たちを自由にします。


そうなんですよね、みことばには力があるんです。

ぼくたちが一喜一憂するのは、みことば以外のものに頼るからなんだと思います。



聖書のみことばに常に留まり、みことばを味わい、みことばによって養われる歩み、していきたいですね。

これからもこのブログはみことばを大事にし、みことばを分かち合っていきますね。

これからもよろしくお願いします。


祝福を祈ります

キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~




 


 

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こんにちわ~ 

今日はみことばの分かち合いしますね。

 

今、旧約聖書のヨブ記を味わっています。

ヨブ記、体中が痒く、すべてを失い孤独と苦しみに呻き、 神様に「何故ですか?」と尋ねているヨブ。

そのヨブに対して3人の友人が、まるで傷口に塩を塗り込むように、ヨブの罪の刈り取りだって、苦難は罪の結果だっていう信仰をもとに、それをヨブに当てはめて、ヨブに悔い改めるように迫りました。

で、3人の友人たちがヨブに言い尽くした後、第四の男というか、四人目の人が現れ、ヨブを責め立てます。

 

この人、エリフっていう人なんだけど、32章~37章って、6章も費やしてエリフは機関銃のようにヨブに語っています。

もちろん、章は私たちが聖書を読みやすくするように付けてあるだけで、実際は章は無いんですけどね

 

で、このエリフという人なんですが、3人の友人と同様、ヨブに対して間違った理解はしています。

でもね、3人の友人と違い、鋭いことも言っているんです。
 


で、今日味わったのは37章の14節から、エリフの機関銃メッセージのエンディングです
 


ヨブ記37:33~34

全能者を見いだすことはわたしたちにはできない。

神は優れた力をもって治めておられる。

憐れみ深い人を苦しめることはなさらない。

それゆえ、人は神を畏れ敬う。

人の知恵はすべて顧みるに値しない。
 


 
 神様は私たちの理解を超えたお方です。

神様は自然界を支配され、時に嵐を起こされたり、地震を起こされたりします。


エリフは同じ37章14節でこう言っています。

 


ヨブよ、耳を傾け、神の驚くべき御業について、よく考えよ。

あなたは知っているか。どのように神が指図して、密雲の中から稲妻を輝かせるかを。

あなたは知っているか、完全な知識を持つ方が、垂れ込める雨雲によって、驚くべき御業を果たされることを。

南風が吹いて大地が黙すときには、あなたの衣すら厚くなるというのに、鋳て造った鏡のような堅い大空を、あなたは、神と共に固めることができるとでもいうのか。

ヨブ記37:14~18
 

 

ヨブもそうなんですが、ぼくたちは自然界の現象なんて説明出来ないし、本当に無力だと思います。

でもね、そのすべてを治めておられるのは神様なんですよね。

その神様を前して、ぼくたちは何にも言えないし、議論することも出来ないと思うんです。


だってね、神様は完全な義なるお方だし、神様は決して間違ったことをなさるお方でも、意地悪なお方でもありません。

もしそうなら、もうそれは神様じゃないですもんね。

 

その神様を前にして、私たちが出来ること、それが24節だと思うんです。

「それゆえ、人は神を畏れ敬う。人の知恵はすべて顧みるに値しない。」

 

自分自身、どうなんだろうなってすごく思わされます。

確かに、「神様、どうしてですか~」ってヨブみたいに言いたくなること、わからないこと、いっぱいあります。


今の状態から脱出したいという思いも強くあります。

でも、思うんです、それを神様に訴えても、そこには答えはないんだっていうこと。


それは決して神様はいないとか、そういうことじゃないですよ。

そうじゃなくて、神様はご自身の御心のままにそうなさっているんです。

だから、人間の指図は受けないし、人間の意見に動揺したり、ご計画を変更したりするようなお方ではないんです。

逆に言えば、神様の御心って、それだけ完璧なんですよね。

 

第二コリント12章9節にこうあります。

「ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」

 

あぁ、神様の前にへりくだり、畏れ敬い、今やるべきこと、今、与えられていることを忠実に行っていくことなんだなぁって思わされます。

ぼくの呻きも、祈りも全部聞き届けられています。

だって、天において、イエス様がぼくのために執り成し祈り続けてくださっていますし、イエス様を通して天のお父様に全部伝わっていますからね。

 

主に信頼し、畏れ敬うこと、これが信仰生活のすべてなんだなぁって思います。

畏れ敬うライフスタイル、これを確立していきたいですね。


 
祝福を祈ります

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こんにちわぁ~ 

今日も無事終わりました。

それにしても暑かった~もう初夏ですね。

水分補給、ちゃんとやんなきゃね。



さてさて、今、旧約聖書のヨブ記を少しずつ毎日味わっています。

なかなか分かち合えないんだけどね~



今日、味わったのは28章、これはヨブの友人への反論の発言です。


 
ヨブ記28:28

そして、人間に言われた。

「主を畏れ敬うこと、それが知恵

悪を遠ざけること、それが分別」
 


これ、ヨブ記の中でものすごく大事な箇所で、ヨブの主張、ヨブの信仰がこのことばにギュッと凝縮されています。

  • 「主を畏れ敬うこと、それが知恵」
  • 「悪を遠ざけること、それが分別」


ヨブは、自分がどうしてこんなに苦しい思いに追いやられているのか、全く理解出来ません。

ヨブは何度も神様に訴えていますが、神様は沈黙したまま。。


でもね、ヨブは神様の御心を理解出来なくても、でも主を畏れ敬っていました。

それがヨブの信仰なんです。


ヨブの3人の友だちは、ヨブが重罪を犯したから、このような病に襲われ、すべてを失う結果となったんだって主張していますが、でもね、それは間違い。

逆にそうやって神様の御心を勝手にねつ造した友だちこそ重罪なんです。


ヨブはこのみことばをもって、3人の友だちを断罪し、そして自分の信仰告白をここでしました。



「主を畏れ敬うこと、それが知恵。悪を遠ざけること、それが分別」

これ、ぼくたちに対しても語られているんだと思います。


主を畏れ敬う生活、本当に大事ですよね。 

だってね、主を畏れ敬う生活をすると、自ずと悪を遠ざける結果となりますもんね。


この世は悪に満ちています。

誘惑もいっぱいです。


でも、この悪に満ちた地にあって、主を畏れ敬い、主に依り頼む生き方、主の御手の中で養われるライフスタイル、持ち続けていきたいですね。

主を畏れ敬うライフスタイル、実践しましょうね。



祝福を祈ります

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こんにちわ~

前回に続いて、ローマ人への手紙から教えられたことを分かち合いますね



ローマ1:16~17
私は福音を恥とは思いません。福音は、ユダヤ人をはじめギリシャ人にも、信じるすべての人にとって、救いを得させる神の力です。
 



前回も書きましたが、パウロは「私は福音を恥とは思いません」って言いました。

それは、パウロは福音に完璧な信頼を置いていて、それを埃としていたということです。




でね、どうして福音に完璧な信頼を置くことが出来るのかというと、それはね、「福音は、救いを得させる神の力」だからなんです。

だから、パウロは「福音を恥とは思わない」って言ってるんです。

で、パウロは「救い」ということを凄く強調し、なんと1章から8章まで、これだけの長い量を裂いて「救い」について語っているんです。



そこで、今日はこの「救い」について、ご一緒に学ぶこととします。

「救い」って言いますが、実は救いには3つの要素があるんです。



1、義認

まず「義認」ですが、これは過去形の救いです。

この義認はイエス様の十字架と復活の福音を信じ受け入れた瞬間に与えられる祝福です。

信じた瞬間にです。



この義認というのは、罪とは無縁になり、聖められてた存在になるとか、善良な人になるっていう意味じゃ無いです。

そうじゃなくて、父なる神様との関係が変化し、父成る神様と和解したということです。

そして、これは法廷用語なんです。



2、聖化

 次に「聖化」ですが、これは現在進行形の救いです。

この聖化って、救いの完成に向かうプロセスで、今ぼくたちはこの聖化の課程にあるんです。

つまりね、工事中、制作中なんです。

一日一日、イエス様の似姿に変えられています。その変えられている最中です。

だから完璧な状態じゃないんです。



これ、そんなまだまだ~って思うこともあると思います。

ミスったり、落ち込んだりすると特にね。。。



でもね、感じようが感じまいが、少しずつ、私たちのペースに合わせて、神様はぼくたちをイエス様の似姿に変えてくださっているんです。



3、栄化 

そして「栄化」、これは未来形の救いです。

この栄化が救いの完成です。


ぼくたちはイエス様を受け入れ、救われます。

そして救われた瞬間に義認を受けます。

そして、同時に聖化の課程に入ります。

この聖化の完成が栄化なんです。



ぼくたちは言わば「coming soon」の状態なんです。

そして日々の歩みの中、時に失敗や問題を通して、イエス様の似姿に変えられていくんです。

そして完全にイエス様の似姿になる時が来ます。

その時には、もう罪とは無縁の状態となるんです。

傷や染みもありません。もちろん老化とかもありませんし、肌荒れや体重も気にしなくてOK。

栄光の体に変えられるんです。



パウロが「福音は救いを得させる神の力」だって言ったのは、ぼくたちクリスチャンは必ず将来栄光の体に変えられるからなんです。



だってね、もし義認だけだったら、それは本当の意味のでの救いじゃないですよね。

聖化も栄化もすべて必ず実現します。

それは夢じゃないですよ、現実です。



主は今この瞬間もご自身の似姿にぼくたちを造り替えてくださっているんです。

そこに信頼を置き、主に信頼し、ゆだねるんです。



お互いに、この福音の恵みを味わい、栄化に向かって今があることを受けとめ、心からの感謝をしましょうね


祝福を祈ります

キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~

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