こんにちわ~

今日もみことばの分かち合いをしますね。

そして、今日もヨブ記、ヨブ記ももうちょいなんで、もうちょっとお付き合いください。





ヨブ記42:7~9

主はこのようにヨブに語ってから、テマン人エリファズに仰せになった。

「わたしはお前とお前の二人の友人に対して怒っている。
お前たちは、わたしについてわたしの僕ヨブのように正しく語らなかったからだ。
しかし今、雄牛と雌羊を七頭ずつわたしの僕ヨブのところに引いて行き、自分のためにいけにえをささげれば、わたしの僕ヨブはお前たちのために祈ってくれるであろう。
わたしはそれを受け入れる。
お前たちはわたしの僕ヨブのようにわたしについて正しく語らなかったのだが、お前たちに罰を与えないことにしよう。」

テマン人エリファズ、シュア人ビルダト、ナアマ人ツォファルは行って、主が言われたことを実行した。

そして、主はヨブの祈りを受け入れられた。
 



今日の箇所は、ヨブの3人の友だちへの裁きというか、言及です。

神様は、3人の友だちの中から代表者としてテマン人エリファズを選びました。

おそらくエリファズが一番の年長者だったんでしょうね。



で、神様はエリファズに、エリファズも含めて3人に怒っているんだっていうことを告げました。

神様が怒っている。。。ひぇ~~どころじゃなく、顔面蒼白、体中身震いし、恐ろしくて言葉も出ないし、やっと立っているような状態だったことと思います。




でね、神様はそのエリファズに怒ってるんですが、どうして怒っているのかというと、「わたしについてわたしの僕ヨブのように正しく語らなかったからだ」っていうことです。

どういうことかというと、彼ら3人の信仰は因果応報、苦難は罪の結果だという前提でヨブを責め、悔い改めに導こうとしていますよね。

そして、実際には見てもないのに、推測で「こういう罪を犯したんだろう」的な発言をし、ヨブを責め立てました。

そのことを神様は彼らに言っているんです。




これね、実は今日でもおんなじことをやってるクリスチャン、いっぱいいます。

試練は罪の結果みたいな。。。

イエス様は何と言いましたか、


本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。
神の業がこの人に現されるためである。
~ヨハネ9:3~


イエス様ははっきり言われてますよね、「神の業がこの人に現されるため」だってね。




もちろん、罪の結果というケースもあります。

たとえばギャンブルにのめり込んだ結果、借金で大変なことになるとか、ね。

でもね、全部が全部罪の結果じゃないんです。



ある人は先祖の罪の結果だって、先祖の罪の悔い改めまで求めてきます。

でもこれも違います。

先祖の罪はその人が負うのであって、子孫とは関係ありません。

そして、十字架上で、アダム以来代々受け継いだ罪の代価はイエス様が全部支払われ、「借金は完済した」(完了した)って十字架上でおっしゃられ、そして自ら息を引き取られました。

だから先祖の罪に恐れる必要は全くありません。



私たちの罪はイエス様の十字架上で全部処理され、福音の三要素、イエス様が十字架で死なれたこと、墓に葬られたこと、三日目によみがえられたこと、その事実を受け入れ、それが自分のためだと認め、そこに信頼を置いた時、イエス様の十字架の御業が私たちのものとなり、完全に自由とされます。

だから、試練は罪の結果だと相手を責めることは、神様の御心を否定する重罪なんです。




さてさて、このエリファズへの神様の発言、気づいていますか、なんと4回も「わたしの僕ヨブ」って言ってるんです。

っていうことは、ヨブと神様の関係は回復し、あのサタンとの会話以前の関係に戻ったっていうことです。

すごいですよね。




わたしの僕ヨブはお前たちのために祈ってくれるだろう(8b)

ヨブは祭司としての働きを再開することとなります。

ヨブは、苦しみの中で神様と対話したいから、その仲介者を求めていました。

なんと、その仲介者が自分となったんです。

神様のなさることは本当に素晴らしいですね~




ヨブは神様の前に悔い改めたとき、罪赦され、「わたしの僕」って呼ばれるようになりました。

3人の友人たちも、神様が言われたとおり、大量の犠牲の捧げ物をヨブの前に持って行き、ヨブに仲介に入ってもらい、祈ってもらったとき、罪赦されました。

私たちはどうでしょう?

私たちもそうなんですよね、ヨブが3人の友人の仲介者となったように、今日、イエス様が私たちの仲介者となってくださっています。

だってね、お祈りの最後に何と言いますか?「イエス様の御名を通してお祈りします」って言いますよね。

これ、祈りの最後の決まり文句じゃないですよ。

ものすごく重要な言葉で、イエス様の信じる前の私たちは罪のために天のお父様に祈るなんてとんでもないこと、近づくことも出来ませんでした。

だって、神様は義そのものですからね。

でも、イエス様の十字架と復活の福音を信じ受け入れ、救われたとき、イエス様が天のお父様との仲介者となってくださり、今日、イエス様を通して天のお父様と大胆にお祈りし、神様の愛を受け取り、甘えることが出来るようになったんです。

そう、愛に溢れた親子関係です。



そういう意味では、この箇所のヨブはイエス様と私たちとの型ですね。

だから、罪を犯しても、イエス様を通して悔い改めることができ、すべての罪は赦されるのです。




これ、すごい恵みですよね。

主の恵みを味わいつつ、大胆にイエス様を通して私たちのお父様の御前に出ましょうね。

ハレルヤ 



祝福を祈ります

キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~




 

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イエス様の祝福が豊かにありますように

キリストの愛を込めて。。。