こんにちわ~
今朝、不思議な夢を見ました。
と言っても、夢の内容は全く覚えていませんけどね
ただね、一つだけ覚えていることがあるんです。
それは、誰と話しているのかも、どういうシチュエーションだったのかも覚えていないんだけど、誰かにぼくが話している内容です。
「そうなんだよね、裸になったらみんなおんなじじゃん」
これだけ見ると、アブナイ。。。って思われちゃうんですが、でもね、実際はそうじゃなくて、どんなに立派な人でも、お金持ちでも、たとえば温泉とかに行って裸になったら、他の人と何一つ変わらない、どんな人でもみんなおんなじだっていう意味です。
誤解しないでくださいね(笑)
今日一日、そのことを思い巡らしていました。
旧約聖書の第一サムエル16章7節にこうあります。
しかし、主はサムエルに言われた。
「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。
人間が見るようには見ない。
人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。
これ、サウルに代わる王を選ぶときのみことばで、サムエルはエリアブという人を選ぼうとしました。
彼こそ主の前に油を注がれる者だって思ったんです。
きっと今でいうイケメンだったんでしょうね。
でもそのサムエルの考えに対して、神様は「人間が見るようには見ない」と言われたんです。
「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」
今日一日、このことを思い巡らしていたんです。
で、ずーっと「そうなんだよね、裸になったらみんなおんなじじゃん」っていう言葉とリンクして、グルグルと思い巡らしていたんです。
まさに神様は私たちの外面じゃ無くて、内面、丸裸の私たちを見ておられるんです。
どんなに身なりを良くしても、印象を良くするような姿をしていても、それは外見、容姿ですよね。
私たちは服を着飾り、女性は化粧をし、自分の恥ずかしい部分を隠します。
でも、神様は私たちのそういう姿を見ていないんです。
丸裸な私たち、スッピン風メイクじゃなく、完全スッピンで、丸裸な私たちを見ているんです。
そして、その上で私たちを愛し続けていてくださっているんです。
私たちの人には絶対に見せたくない部分をも受け入れて。。。。
それがご自身の御子であられるイエス様の十字架による購いですよね。
この愛を受け入れ、受け取ることが出来たこと、救われたこと、これがどんなに大きなことか、はかりしれません。
そうやって愛されているんだなぁって、クリスチャンであるということがとてつもなく大きな恵みなんだなぁってしみじみ思わされました。
私たちクリスチャンはそうやって主に受け入れられた者たちです。
そして、絶対に見捨てられることはないし、ひとりぼっちでもありません。
凄いですよね。
同時に、私たちはキリストの体であり、そうやって受け入れられた者たちです。
だから、愛し合うんですよね、キリストの体としてね。
そんなことを思い巡らしていました。
さあ、今週もあと二日、主の愛の御手の中に留まり、主との愛の関係を深めましょうね。
祝福を祈ります
キリストの愛を込めて。。。
でわでわ~
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