こんにちわ~ 

今日はみことばの分かち合いしますね。

 

今、旧約聖書のヨブ記を味わっています。

ヨブ記、体中が痒く、すべてを失い孤独と苦しみに呻き、 神様に「何故ですか?」と尋ねているヨブ。

そのヨブに対して3人の友人が、まるで傷口に塩を塗り込むように、ヨブの罪の刈り取りだって、苦難は罪の結果だっていう信仰をもとに、それをヨブに当てはめて、ヨブに悔い改めるように迫りました。

で、3人の友人たちがヨブに言い尽くした後、第四の男というか、四人目の人が現れ、ヨブを責め立てます。

 

この人、エリフっていう人なんだけど、32章~37章って、6章も費やしてエリフは機関銃のようにヨブに語っています。

もちろん、章は私たちが聖書を読みやすくするように付けてあるだけで、実際は章は無いんですけどね

 

で、このエリフという人なんですが、3人の友人と同様、ヨブに対して間違った理解はしています。

でもね、3人の友人と違い、鋭いことも言っているんです。
 


で、今日味わったのは37章の14節から、エリフの機関銃メッセージのエンディングです
 


ヨブ記37:33~34

全能者を見いだすことはわたしたちにはできない。

神は優れた力をもって治めておられる。

憐れみ深い人を苦しめることはなさらない。

それゆえ、人は神を畏れ敬う。

人の知恵はすべて顧みるに値しない。
 


 
 神様は私たちの理解を超えたお方です。

神様は自然界を支配され、時に嵐を起こされたり、地震を起こされたりします。


エリフは同じ37章14節でこう言っています。

 


ヨブよ、耳を傾け、神の驚くべき御業について、よく考えよ。

あなたは知っているか。どのように神が指図して、密雲の中から稲妻を輝かせるかを。

あなたは知っているか、完全な知識を持つ方が、垂れ込める雨雲によって、驚くべき御業を果たされることを。

南風が吹いて大地が黙すときには、あなたの衣すら厚くなるというのに、鋳て造った鏡のような堅い大空を、あなたは、神と共に固めることができるとでもいうのか。

ヨブ記37:14~18
 

 

ヨブもそうなんですが、ぼくたちは自然界の現象なんて説明出来ないし、本当に無力だと思います。

でもね、そのすべてを治めておられるのは神様なんですよね。

その神様を前して、ぼくたちは何にも言えないし、議論することも出来ないと思うんです。


だってね、神様は完全な義なるお方だし、神様は決して間違ったことをなさるお方でも、意地悪なお方でもありません。

もしそうなら、もうそれは神様じゃないですもんね。

 

その神様を前にして、私たちが出来ること、それが24節だと思うんです。

「それゆえ、人は神を畏れ敬う。人の知恵はすべて顧みるに値しない。」

 

自分自身、どうなんだろうなってすごく思わされます。

確かに、「神様、どうしてですか~」ってヨブみたいに言いたくなること、わからないこと、いっぱいあります。


今の状態から脱出したいという思いも強くあります。

でも、思うんです、それを神様に訴えても、そこには答えはないんだっていうこと。


それは決して神様はいないとか、そういうことじゃないですよ。

そうじゃなくて、神様はご自身の御心のままにそうなさっているんです。

だから、人間の指図は受けないし、人間の意見に動揺したり、ご計画を変更したりするようなお方ではないんです。

逆に言えば、神様の御心って、それだけ完璧なんですよね。

 

第二コリント12章9節にこうあります。

「ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう」

 

あぁ、神様の前にへりくだり、畏れ敬い、今やるべきこと、今、与えられていることを忠実に行っていくことなんだなぁって思わされます。

ぼくの呻きも、祈りも全部聞き届けられています。

だって、天において、イエス様がぼくのために執り成し祈り続けてくださっていますし、イエス様を通して天のお父様に全部伝わっていますからね。

 

主に信頼し、畏れ敬うこと、これが信仰生活のすべてなんだなぁって思います。

畏れ敬うライフスタイル、これを確立していきたいですね。


 
祝福を祈ります

キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~ 





 

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イエス様の祝福が豊かにありますように

キリストの愛を込めて。。。