こんにちわ~ 

今日もみことばを分かち合いますね~



今、旧約聖書のヨブ記を味わっています。

ヨブ記、味わえば味わうほど、すごくヘビーですね。

ヨブの苦しみがビンビン伝わってきます。



でね、今日、味わっていてすごく考えさせられました。 



ヨブ30:24~26

人は、嘆き求める者に手を差し伸べ、不幸な者を救おうとしないだろうか。

わたしは苦境にある人と共に泣かなかっただろうか。

貧しい人のために心を痛めなかっただろうか。

貧しい人のために心を痛めなかっただろうか。

わたしは幸いを望んだのに、災いが来た。

光を待っていたのに、闇が来た。




ヨブ記30章は、ヨブが、自分はどれほど苦しい思いをしているのかということを、切々と語っている章です。

すべての人に裏切られ、社会の中で軽蔑されていた若者が、なんとヨブをバカにし、あざ笑っています。

しかも彼らはヨブをあざけり、なんと顔に唾をかけたんです。

ヨブは大変な皮膚病に冒され、皮膚は黒ずんではげ落ち、骨は高熱のために焼けただれています。

生き地獄とはこれだって思わざるを得ない状態です。。。。



そういう中で、ヨブの3人の友だちは、ヨブを慰めるどころか、罵り、敵対したのです。

この24節からの箇所を読むと、ヨブは3人の友だちから慰めを受けることを期待したんだなっていうことが伝わって来ます。

だって、それが友だちなんですよね。。。


でも、彼らは正反対のことをしたんです。

友人から受ける責めは、苦しみが、悲しみが倍増します。




でもね、翻って、自分はどうだろうって思わされたんです。 

愛の行動をどれだけ取っているんだろう、慰めの行動をどれだけとっているんだろうってね。

ほんとに考えさせられますね。。。



でもね、同時に思うんです。

それはね、この「愛」とか「慰め」とか、これは自分のじゃないんですよね。

ぼくの愛とか、ぼくの慰めじゃなくて、イエス様の愛、イエス様の慰めですよね。

だって、ぼくの内にイエス様はお住まいになられているんですからね~



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主よ、苦しみのただ中にある方にあなたの愛を流し出す器とさせてください。

あなたの愛を、あなたの慰めを、私を通してお一人ひとりに注いでください。

更に更に、あなたとの関係性を深めさせてください。

そしてその恵みから出る愛を、慰めをもって、回りの人たちと関わらせてください。

自己主張せず、自分の価値判断で人と接するのでもなく、御霊が導かれるままに、イエス様の愛を流し出し、傷ついている人にはあなたの油を私を通して塗ることができますように。

主よ。。。

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そんなことをこの一日思い巡らしました。

ほんとに足りない者なんですが、愛の人に変えられたいですね 



祝福を祈ります

キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~