キリストの優しい風

~風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞いても、
それがどこから来て、どこへ行くかを知らない。
霊から生まれた者も皆そのとおりである(ヨハネ3:8)~

キリストの優しい風に吹かれ、自由に導かれ、癒やされ、変えられていく幸せをあなたと。。。





2016年06月

イエス様を通して祈れる恵み♪

こんにちわ~

今日もみことばの分かち合いをしますね。

そして、今日もヨブ記、ヨブ記ももうちょいなんで、もうちょっとお付き合いください。





ヨブ記42:7~9

主はこのようにヨブに語ってから、テマン人エリファズに仰せになった。

「わたしはお前とお前の二人の友人に対して怒っている。
お前たちは、わたしについてわたしの僕ヨブのように正しく語らなかったからだ。
しかし今、雄牛と雌羊を七頭ずつわたしの僕ヨブのところに引いて行き、自分のためにいけにえをささげれば、わたしの僕ヨブはお前たちのために祈ってくれるであろう。
わたしはそれを受け入れる。
お前たちはわたしの僕ヨブのようにわたしについて正しく語らなかったのだが、お前たちに罰を与えないことにしよう。」

テマン人エリファズ、シュア人ビルダト、ナアマ人ツォファルは行って、主が言われたことを実行した。

そして、主はヨブの祈りを受け入れられた。
 



今日の箇所は、ヨブの3人の友だちへの裁きというか、言及です。

神様は、3人の友だちの中から代表者としてテマン人エリファズを選びました。

おそらくエリファズが一番の年長者だったんでしょうね。



で、神様はエリファズに、エリファズも含めて3人に怒っているんだっていうことを告げました。

神様が怒っている。。。ひぇ~~どころじゃなく、顔面蒼白、体中身震いし、恐ろしくて言葉も出ないし、やっと立っているような状態だったことと思います。




でね、神様はそのエリファズに怒ってるんですが、どうして怒っているのかというと、「わたしについてわたしの僕ヨブのように正しく語らなかったからだ」っていうことです。

どういうことかというと、彼ら3人の信仰は因果応報、苦難は罪の結果だという前提でヨブを責め、悔い改めに導こうとしていますよね。

そして、実際には見てもないのに、推測で「こういう罪を犯したんだろう」的な発言をし、ヨブを責め立てました。

そのことを神様は彼らに言っているんです。




これね、実は今日でもおんなじことをやってるクリスチャン、いっぱいいます。

試練は罪の結果みたいな。。。

イエス様は何と言いましたか、


本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。
神の業がこの人に現されるためである。
~ヨハネ9:3~


イエス様ははっきり言われてますよね、「神の業がこの人に現されるため」だってね。




もちろん、罪の結果というケースもあります。

たとえばギャンブルにのめり込んだ結果、借金で大変なことになるとか、ね。

でもね、全部が全部罪の結果じゃないんです。



ある人は先祖の罪の結果だって、先祖の罪の悔い改めまで求めてきます。

でもこれも違います。

先祖の罪はその人が負うのであって、子孫とは関係ありません。

そして、十字架上で、アダム以来代々受け継いだ罪の代価はイエス様が全部支払われ、「借金は完済した」(完了した)って十字架上でおっしゃられ、そして自ら息を引き取られました。

だから先祖の罪に恐れる必要は全くありません。



私たちの罪はイエス様の十字架上で全部処理され、福音の三要素、イエス様が十字架で死なれたこと、墓に葬られたこと、三日目によみがえられたこと、その事実を受け入れ、それが自分のためだと認め、そこに信頼を置いた時、イエス様の十字架の御業が私たちのものとなり、完全に自由とされます。

だから、試練は罪の結果だと相手を責めることは、神様の御心を否定する重罪なんです。




さてさて、このエリファズへの神様の発言、気づいていますか、なんと4回も「わたしの僕ヨブ」って言ってるんです。

っていうことは、ヨブと神様の関係は回復し、あのサタンとの会話以前の関係に戻ったっていうことです。

すごいですよね。




わたしの僕ヨブはお前たちのために祈ってくれるだろう(8b)

ヨブは祭司としての働きを再開することとなります。

ヨブは、苦しみの中で神様と対話したいから、その仲介者を求めていました。

なんと、その仲介者が自分となったんです。

神様のなさることは本当に素晴らしいですね~




ヨブは神様の前に悔い改めたとき、罪赦され、「わたしの僕」って呼ばれるようになりました。

3人の友人たちも、神様が言われたとおり、大量の犠牲の捧げ物をヨブの前に持って行き、ヨブに仲介に入ってもらい、祈ってもらったとき、罪赦されました。

私たちはどうでしょう?

私たちもそうなんですよね、ヨブが3人の友人の仲介者となったように、今日、イエス様が私たちの仲介者となってくださっています。

だってね、お祈りの最後に何と言いますか?「イエス様の御名を通してお祈りします」って言いますよね。

これ、祈りの最後の決まり文句じゃないですよ。

ものすごく重要な言葉で、イエス様の信じる前の私たちは罪のために天のお父様に祈るなんてとんでもないこと、近づくことも出来ませんでした。

だって、神様は義そのものですからね。

でも、イエス様の十字架と復活の福音を信じ受け入れ、救われたとき、イエス様が天のお父様との仲介者となってくださり、今日、イエス様を通して天のお父様と大胆にお祈りし、神様の愛を受け取り、甘えることが出来るようになったんです。

そう、愛に溢れた親子関係です。



そういう意味では、この箇所のヨブはイエス様と私たちとの型ですね。

だから、罪を犯しても、イエス様を通して悔い改めることができ、すべての罪は赦されるのです。




これ、すごい恵みですよね。

主の恵みを味わいつつ、大胆にイエス様を通して私たちのお父様の御前に出ましょうね。

ハレルヤ 



祝福を祈ります

キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~




 

↑↑↑登録するとLINEにこのブログの更新通知が届きます♪ 
ぜひぜひLINEに登録してくださいね

それと、気軽に励ましのコメントくださいね
 
 

応援の意味を込めて、ポチお願いします 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ    にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ




イエス様の祝福が豊かにありますように

キリストの愛を込めて。。。





自分の本当の姿を知った今。。。

こんにちわ~ 

今日もみことばの分かち合いをしますね。

今日もヨブ記です。




ヨブ記、好きな人、苦手な人、いろんな人がいると思います。

でもね、ヨブ記を味わっていて、すごく感じるのは、信仰の根本が探られるというか、取り扱われるなっていうこと。

そして自分と神様との関係性が変えられていきます。

そういう意味でも避けてはいけない大切な書なんだなって思います。




でね、今日は42章、ヨブの悔い改めの箇所を味わいました。


ヨブ記42:1~6

ヨブは【主】に答えて言った。

あなたは全能であり、御旨の成就を妨げることはできないと悟りました。

「これは何者か。知識もないのに神の経綸(けいりん)を隠そうとするとは。」

そのとおりです。
わたしには理解できず、わたしの知識を越えた驚くべき御業をあげつらっておりました。

「聞け、わたしが話す。お前に尋ねる、わたしに答えてみよ。」

あなたのことを、耳にしてはおりました。
しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。
それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます。



これがヨブの悔い改めのことばです。

ヨブは、自分は何も知らないし、何もすることが出来ない小さな小さな存在だということを、神様が問われた質問を通して痛感し、今、心からの悔い改めに導かれています。



神様は「これは何者か。知識もないのに神の経綸を隠そうとするとは」とおっしゃいましたが、まさにこれ、ヨブのことです。

神様の偉大さ、その権威に満ちたお方、愛深さ、何一つ、ヨブの理解を遙かに超えています。

とてもじゃないけど、理解することなんて不可能です。

でも、ヨブは神様に対して、神様の御心も知らずに、神様に文句を言い続けてきました。

今、神様を前にして、ヨブはもはやなんと愚かな行為をしてしまったのだろうという思いでいっぱいで、神様の赦しを頂くしか他にありません。




ヨブは5~6節でこう締めくくっています。


あなたのことを、耳にしてはおりました。
しかし今、この目であなたを仰ぎ見ます。
それゆえ、わたしは塵と灰の上に伏し、自分を退け、悔い改めます。



ヨブは「今、この目であなたを仰ぎ見ます」って言ってますが、これ、比喩、ビジュアル的にわかるよう、こういう表現をしているんであって、実際バーンと神様がヨブに現れ、神様を見たー!っていうことじゃないですよ。

人間が神様を見て、生きていることなど出来ません。それほど神様は聖いんです。



でも、ヨブは神様と直接話し、神様を体験しました。

そして、もはや自分の無知さ、そして偉そうに知ったかぶりを語り、神様を責めるような言葉を発した愚かさ、その傲慢さを深く悔い改めているんです。




ヨブはこの時を境に変えられました。

彼の信仰はがらっと変わったんでしょうね。



あぁ、自分はどうなんだろうって思わされます。

自分の無知さを痛感するし、なんかヨブとおんなじだなぁって思わされます。



でもね、だからこそ、イエス様の十字架と復活の恵みの大きさを実感するんです。

神様の愛の前に圧倒されるし、こんな自分を愛してくださり、受け入れてくださっているその恵み深さの前にただただ感謝としか言いようがありません。




サタンの攻撃は相変わらず、でもぼくらクリスチャンはイエス様がおられます。

イエス様は今、天で大祭司として執り成し祈り続けてくださっています。

そして、天のお父様にぼくたちのことを訴えているサタンに対して、最高の弁護者であられるイエス様が弁護してくださっています。



だから、大胆に天のお父様の御前に出ることが出来るし、「お父様」って心を込めてお祈りも出来ます。

これが今のぼくたちのスタンスなんですよね。



自分は何者でもないことを認めること、そしてヨブと同じで、何も知らないということを受け入れること、これが傲慢な態度から解放される鍵なんですよね。

そして、へりくだって、神様のご計画の深さ、その確かさに心注ぎ、信頼する、つまり主の御手の中に留まり、安息すること、これが真のクリスチャンライフなんだなぁって、このヨブ記を味わいながら思わされています。




試練は辛いです。苦しいです。「なんで?!」って思っちゃうこともあります。

でも、それは目で見えるところだけで、舞台裏を知らないから苦しいんです。

でも、その舞台裏で、神様はそのことに対する御心を持たれておられ、クリスチャンがそのことを理解し、主を見上げ、「なんで」信仰から、「信頼」信仰へ心の目をシフトすることを願っておられます。




ヨブ記を味わいながら、ずっと詩篇23篇、有名な箇所なんですが、この中の5節がずっと心にありました。


わたしを苦しめる者を前にしても、あなたはわたしに食卓を整えてくださる。
わたしの頭に香油を注ぎ、わたしの杯を溢れさせてくださる。



神様はわたしたちに豊かな食卓を整えてくださり、頭に香油を注いでくださるお方。

でもそれは、豊かな時、満足している時、成功している時、問題がなく平穏な暮らしをしている時だけじゃないんです。

ダビデは歌ってますね、「わたしを苦しめる者を前にしても」って。

そう、試練の中、苦しみの中、最悪の状況のそのただ中で食卓を整え、香油を注いでくださるお方、これが神様のなさる方法なんです。



これ、問題だけを見ている時には気づかないですよね。

結果、「なんで」の祈りになっちゃいます。



でもね、神様は状況に支配されないお方、どんな最悪な状況であっても、死を前にしたとしても、そのど真ん中で食事を整え、香油で満たしてくださっているお方なんです。

だから、その苦しみのただ中で主を見上げるなら、たとえ状況は変化しなくても、心は平安になり、結果、「わたしの杯は溢れています」っていう告白へとつながります。



自分自身もこうやって書きながら、ほんと、そうだなぁって思わされています。

ご一緒に「なんで」の祈りを止めにして、いつもイエス様を見上げ、イエス様の優しい御手の中に留まる安息生活を送りましょうね。


祝福を祈ります

キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~






 

↑↑↑登録するとLINEにこのブログの更新通知が届きます♪ 
ぜひぜひLINEに登録してくださいね

それと、気軽に励ましのコメントくださいね
 
 

応援の意味を込めて、ポチお願いします 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ    にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ




イエス様の祝福が豊かにありますように

キリストの愛を込めて。。。





みことばの光に照らされよう♪

こんにちわ~

今日も、そして今週も無事終わりました

それにしても蒸し暑いし、梅雨らしいって言えばそれまでなんですが、ジメジメしてスッキリしない天気が続いていますね。

最近、ちょっとお疲れ気味。。。


最近、すごく思わされていますが、やっぱみことばだなぁって感じています。

っていうか、みことばにこだわりたいなぁってね。



詩篇119:130(口語訳聖書)
み言葉が開けると光を放って、無学な者に知恵を与えます。


このみことば、大好きですし、ほんと、そうだなぁって思わされます。

みことばの光って、無学な者に知恵を与えるんです。

聖霊によって、私たちの心にみことばの光が照らされると、真理がわかり、真理は私たちを自由にします。


そうなんですよね、みことばには力があるんです。

ぼくたちが一喜一憂するのは、みことば以外のものに頼るからなんだと思います。



聖書のみことばに常に留まり、みことばを味わい、みことばによって養われる歩み、していきたいですね。

これからもこのブログはみことばを大事にし、みことばを分かち合っていきますね。

これからもよろしくお願いします。


祝福を祈ります

キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~




 


 

↑↑↑登録するとLINEにこのブログの更新通知が届きます♪ 
ぜひぜひLINEに登録してくださいね

それと、気軽に励ましのコメントくださいね
 
 

応援の意味を込めて、ポチお願いします 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ    にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ




イエス様の祝福が豊かにありますように

キリストの愛を込めて。。。




神様への全幅の信頼

こんにちわ~

今日も無事終わりました。

そして、今週もあと1日です。主よ、感謝します



今日もみことばの分かち合いをしますね。

このところ、ずーっとヨブ記からの分かち合いをしていて、ヘビーだなぁって感じてる人もいるでしょうね。

だって、ぼく自身もけっこうヘビーだなぁって感じるもん(笑)




でもね、このヨブ記を味わう中で、すごく自分自身が取り扱われ、神様の前において、自分は何者か、何様かっていうことがわかり、悔い改めに導かれています。

ヨブ記って取り扱いの書なんだなぁってしみじみ思わされています。




でね、今日は40章6節からの、神様のヨブへの質問、第二ラウンドです。



ヨブ記40:6~8

主は嵐の中からヨブに答えて仰せになった。
 
男らしく、腰に帯をせよ。
お前に尋ねる。わたしに答えてみよ。
お前はわたしが定めたことを否定し、自分を無罪にするために、わたしを有罪とさえするのか。
 


ヨブは神様を責めました。

悪者を見逃しているってね。

それに罪を犯していない自分がどうしてこんな苦しみに遭わなきゃならないんだってね。



でもね、神様はそのヨブに対して何と言ってるかというと、「お前はわたしが定めたことを否定し、自分を無罪にするために、わたしを有罪とさえするのか」ってヨブにおっしゃっています。

これ、強烈な言葉なんだけど、でも真理なんですよね。

だってね、ヨブが語ってきたことって、結果的に神様と同レベルに、いや、それどころか神様よりも上に自分を置いて、神様を罪に定めていることなんですからね。



神様はそれに対して、「お前が神にも劣らぬ腕をもち、神のような声をもって雷鳴をとどろかせたら、すべての驕り高ぶる者、神に逆らう者を打ち倒し、一人残らず塵に葬り去り、墓穴に放り込んだら、わたしはお前をたたえよう」っておっしゃいました。

「お前が自分の右の手で勝利を得たことになるのだから」(14)ってね。



これ、神様にとっては朝飯前のこと、神様は全知全能のなるお方、すべてを創造され、すべてをご自分の御手で治めておられるお方、どんな地上の悪人であっても、神様の権威の前には何一つ刃向かうことは出来ません。

雷鳴、自然界もまた神様が創造され、治めておられます。

だから、ご自分の権威で、その権威に満ちた声で雷鳴をとどろかすことなど、いとも簡単であり、それだけの権威に満ちたお方です。



もしヨブが神様と同レベルで、神様を裁く権威があるのであるなら、これらのことをヨブも出来なければなりません。

でも、ヨブには、こんなことは出来ません。

神様は、こうやってヨブに自分の内面を見せて、悔い改めへと導いておられるんですね。




これ、すごく思わされるんですが、ヨブと同じ事、私たちもやってるなぁって感じます。

自分の思い通りにならないとき、道がふさがれてどうしようもないとき、病が癒やされず、苦しみと悲しみの中に入れられているとき、ヨブみたいに「神様、どうしてですか!あなたが愛なるお方なら、どうしてこういう苦しみにいられているんですか」って、神様に祈ってないかなって、すごく探られます。


でも、これ、実は自分を神様と同レベル、いやヘタしたら神様よりも上に置いて、神様は愛のお方だから道を開かなければならない、病を癒さなければならないって、神様を罪定めしたり、自分の理想へとコントロールしてるんですよね。

今回、この箇所を味わいながら、すごく自分が怖いなっていうことと、神様の権威に全幅することの大切さを実感しました。



神様はご自身の権威をもって、私たちを導かれ、私たちに対するご計画を持って、その意図に即して導いておられます。

その神様の主権に服し、試練の中で主に信頼し、安息すること、これが信仰者の姿なんですよね。

そして、これがキリストの弟子のスタイルなんですね。



今回、そのことをみことばを通して教えられました。

主に身をゆだね、主の優しい御手の中で、主になしていただきましょうね。


祝福を祈ります

キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~




 

↑↑↑登録するとLINEにこのブログの更新通知が届きます♪ 
ぜひぜひLINEに登録してくださいね

それと、気軽に励ましのコメントくださいね
 
 

応援の意味を込めて、ポチお願いします 

にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ    にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ




イエス様の祝福が豊かにありますように

キリストの愛を込めて。。。





しもべとしてのライフスタイル

こんにちわ~

今日、二つ目の投稿です。


今回は、旧約聖書のヨブ記からの分かち合いです。

ヨブ記40:1~5
ヨブに答えて、主は仰せになった。

全能者と言い争う者よ、引き下がるのか。
神を責め立てる者よ、答えるがよい。

ヨブは主に答えて言った。

わたしは軽々しくものを申しました。
どうしてあなたに反論などできましょう。
わたしはこの口に手を置きます。
ひと言語りましたが、もう主張いたしません。
ふた言申しましたが、もう繰り返しません。

38章から始まった、神様のヨブへの質問の締めくくりです。

「全能者と言い争う者」って、これ、ヨブのことですよ。

「神を責め立てる者」もそう。

ヨブはこれまで、神様が自分と争っているって、二回も言っています(10:2、23:6)。

だから、そのヨブに対して逆に、神様は「全能者である神と言い争い、責め立てているヨブよ、なぜ黙っているのか、このまま引き下がるつもりか!」って、おっしゃっているんです。



でもね、「どうなんだ!」って言われても、もうヨブには何も答えられません。

だって、神様の御業なんて何一つ出来ないし、神様は被造世界をお造りになり、支配し、コントロールされている全能なるお方、このお方に被造物に過ぎないヨブは何も答えられません。


このときのヨブの心は、自分が如何に小さくて、何も出来ない存在で、取るに足らない者なんだって痛感していました。

だからね、「ひと言語りましたが、もう主張いたしません。ふた言申しましたが、もう繰り返しません」って、口に手を置き、「どうしてあなたに反論などできましょう」と語った後、このように語ったんです。

ヨブは、これまで、三人の友人との会話の中で、如何に自分が軽々しく語って来たのかを痛感しています。

自分のちっぽけさ、弱さ、愚かさを嫌というほど教えられ、なんと愚かな、軽々しいことを言ってきたのだろうって後悔しています。



でもね、ヨブに足りないことがひとつだけあります。

それはね、悔い改め。

彼は後悔して口は塞いだんだけど、神様の前に悔い改めはしていません。


悔い改めと後悔って違いますよね。

ヨブは確かに、神様の前に自分の愚かさや小ささを教えられ、後悔しています。

だから、もう口を塞ぎますって語っています。

でもね、これ、悔い改めじゃないです。



ここで、ひと言言うと、この時点ではイエス様は十字架にかかられていないし、ヨブはイエス様のイの字も知りません。

だから、イエス様の十字架の赦しを求めることも、十字架にかかられるのを待ち望むことも出来ません。

でもね、このヨブに与えられている範囲で悔い改めるとき、ヨブの罪は赦されます。

そして、ヨブは義人で、今、天国にいます。



で、悔い改めって、罪を悔いたり、神様の赦しを乞うことだけじゃなくて、その罪から離れ、方向転換すること、つまり、神様以外の何かでやってきたことを放棄し、手放し、神様に向きを変えることです。

この40章1~5節には悔い改めは一切記されていません。

だから、そんなヨブに神様は更に厳しい質問を投げかけます。



ぼくたちも注意しないと、ヨブみたいなこと、しちゃうと思います。

神様の前に罪の告白をし、赦しを求め、十字架の赦しを受け取ります。

でも、同じ罪を犯してしまう。。。

そこには、イエス様の十字架で赦されているっていうことで、大丈夫っていう思いがどこかにあるんじゃないのかなって思うんです。

ごめんなさい、厳しいこと言って。。。



私たちがすることって、そうじゃなくて、聖霊の助けを求め、その罪の世界から向きを変えることなんです。

自分も含めてだから、厳しいこと言ってるんですが、どっかで甘えっていうか、十字架の赦しを簡単に捉えているんじゃないのかなぁって感じます。

そして、イエス様は私たちの友だっていうみことばが一人歩きし、親友だもんって、畏れが無くなっているんじゃないのかなって感じます。



ぼくらはもう一度、神様を畏れるということを考える必要があると思います。

もちろん、あれやったら裁かれる、これやったら裁かれるってオドオドする必要はないし、逆にイエス様ご自身を味わい、楽しむべきです。

でもね、親友であると同時に、全能者であり、ぼくらは被造物なんだっていうこと、そして神様の権威がわかるとき、私たちの立つべきスタンスも自ずと変わってくると思います。



神様が求めておられること、それは罪から解放され、罪のしもべとして縛られていたその縛りから解放され、自由とされた私たちが、今度は自発的にイエス様のしもべとさせていただくことです。

イエス様に従うしもべとしてのライフスタイル、イエス様の弟子としてのライフスタイルです。

これはイエス様の前に恐れおののくことではありません。

しもべとしてのライフスタイル、求めていきましょうね。


祝福を祈ります

キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~

神様の愛の深さ。。。

こんにちわ~

今朝、不思議な夢を見ました。

と言っても、夢の内容は全く覚えていませんけどね



ただね、一つだけ覚えていることがあるんです。

それは、誰と話しているのかも、どういうシチュエーションだったのかも覚えていないんだけど、誰かにぼくが話している内容です。

「そうなんだよね、裸になったらみんなおんなじじゃん」



これだけ見ると、アブナイ。。。って思われちゃうんですが、でもね、実際はそうじゃなくて、どんなに立派な人でも、お金持ちでも、たとえば温泉とかに行って裸になったら、他の人と何一つ変わらない、どんな人でもみんなおんなじだっていう意味です。

誤解しないでくださいね(笑)




今日一日、そのことを思い巡らしていました。


旧約聖書の第一サムエル16章7節にこうあります。

 
しかし、主はサムエルに言われた。
 
「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。
 
人間が見るようには見ない。
 
人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。
 

これ、サウルに代わる王を選ぶときのみことばで、サムエルはエリアブという人を選ぼうとしました。

彼こそ主の前に油を注がれる者だって思ったんです。

きっと今でいうイケメンだったんでしょうね。

でもそのサムエルの考えに対して、神様は「人間が見るようには見ない」と言われたんです。



「人は目に映ることを見るが、主は心によって見る」


今日一日、このことを思い巡らしていたんです。

で、ずーっと「そうなんだよね、裸になったらみんなおんなじじゃん」っていう言葉とリンクして、グルグルと思い巡らしていたんです。



まさに神様は私たちの外面じゃ無くて、内面、丸裸の私たちを見ておられるんです。

どんなに身なりを良くしても、印象を良くするような姿をしていても、それは外見、容姿ですよね。

私たちは服を着飾り、女性は化粧をし、自分の恥ずかしい部分を隠します。


でも、神様は私たちのそういう姿を見ていないんです。

丸裸な私たち、スッピン風メイクじゃなく、完全スッピンで、丸裸な私たちを見ているんです。



そして、その上で私たちを愛し続けていてくださっているんです。

私たちの人には絶対に見せたくない部分をも受け入れて。。。。


それがご自身の御子であられるイエス様の十字架による購いですよね。


この愛を受け入れ、受け取ることが出来たこと、救われたこと、これがどんなに大きなことか、はかりしれません。

そうやって愛されているんだなぁって、クリスチャンであるということがとてつもなく大きな恵みなんだなぁってしみじみ思わされました。



私たちクリスチャンはそうやって主に受け入れられた者たちです。

そして、絶対に見捨てられることはないし、ひとりぼっちでもありません。

凄いですよね。


同時に、私たちはキリストの体であり、そうやって受け入れられた者たちです。

だから、愛し合うんですよね、キリストの体としてね。


そんなことを思い巡らしていました。

さあ、今週もあと二日、主の愛の御手の中に留まり、主との愛の関係を深めましょうね。


祝福を祈ります

キリストの愛を込めて。。。


でわでわ~





 

↑↑↑LINEでこのブログの更新通知が届きます♪




気軽に励ましのコメントくださいね
 

それと応援の意味を込めて、ポチお願いします 


にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教 福音派へ    にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ





イエス様の祝福が豊かにありますように

キリストの愛を込めて。。。






ぺんぎん
livedoor プロフィール
メッセージ

名前
メール
本文
タグ絞り込み検索
LINE読者登録QRコード
LINE読者登録QRコード
QRコード
QRコード
Skype Me
メンバーリスト
今日のみことば
掛け軸(詩篇55篇24節)
ギャラリー
  • 主は今生きておられる
  • 桜を通して。。。
  • 桜を通して。。。
  • 桜を通して。。。
  • 桜を通して。。。
  • 桜を通して。。。
  • 桜を通して。。。
  • 桜を通して。。。
  • 雨の中での癒やしの一日
  • 雨の中での癒やしの一日
  • 雨の中での癒やしの一日
  • 雨の中での癒やしの一日
Twitter
Twitterでは「みのみの」という名前でやっています♪
Twitterのフォロー、よろしくお願いします。 Twitterでも主にある交流をしましょう☆

めだか♪
メダカ観察ノート


みのんさんはめだかを飼っています。
水槽にマウスを近づけるとえさを与えられますよ♪
メンバーリスト
最新コメント
最新トラックバック