キリストの優しい風

キリストの優しい風に吹かれ、自由に導かれ、癒やされ、変えられていく幸せをあなたと。。。

2015年10月

こんにちわ~

今日、二つ目の記事です。別に気合い入ってるわけじゃないんですけどね顔笑

前回の記事は、「神様の祝福の仕方」っていう記事です。



さてさて、今日は聖書の学びに行きました電車

定期的にやってる集会で、今日はローマ人への手紙27~31節から学びましたpencil*



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人が義と認められるのは、律法の行いによるのではなく、信仰によるというのが、私たちの考えです。

ロマ3:28

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これ、有名な「信仰義認」です。信仰によって義とされるということ。

ぼくたちが救われるのは、律法によるんじゃないです。なんか行い、つまりたとえば人に喜ばれることをしたらとか、それなりの結果を出したらとか、そういうんでもないです。

ぼくらが救われるのは、信仰により、恵みによるんです。それも神様の側の一方的なです。


よく洗礼を受けることによって救われるっていう人がいるけど、これ大きな大きな間違い。

人は洗礼によって救われるんじゃないです。だって、そうだったら洗礼っていう行いによっちゃいますもんね。


また、罪の告白によるんでもないです。それも行いだし、大体罪の告白って、告白しても告白しても次から次へと出てきます。それくらい罪は根深いです。

きっと一生かかっても終わらないでしょうね。

でも、イエス様の十字架でそれらの罪はぜ~~~んぶ赦され、洗いきよめられ、取り除かれました。

だから、そこに信頼することなんですよね。


ぼくらは信仰により、恵みによって救われました。



今日、学びながら思ったのは、問題はその後、信じて救われた後です。

救われたら、今度は何かの行いによって信仰生活を確立させようとしたり、○○しちゃダメだとか、聖書以外に自家製の律法を作り出してしまったり、そういう傾向があるなぁって思わされたんです。

救いは信仰と恵み、信じた後も同じ、信仰と恵みです。

そこに立たないととっても危険。でも落とし穴。



そして私はこれだけ聖書を読んだとか、毎日1時間以上祈ってるとか、デボーションをばっちり毎日やってるとか、それがいつの間にやらプライド、誇りになっちゃうんです。

ある人が今日言っていて、面白いなぁって思ったんですが、そういうのはぜ~~んぶ埃だって。

そう、埃なんですよね。そして埃は掃除して捨てなきゃダメなんです。

聖霊の掃除機はダ○ソンの掃除機より運万倍きれ~~いに掃除してくださいます。

聖霊の掃除機で綺麗にして頂くことですよね。


ぼくらは本来愛される価値もないような者です。でもね、そんなぼくらの罪が赦され、綺麗に掃除され、取り除かれ、救われたんです。

これ、神様の一方的な恵みによってなんです。


いつもそのことを忘れちゃ絶対にいけないなぁって思わされました。



そして、変えてくださるのはぼくらの努力とか何か行いじゃなくて、神様の恵みの御手によってです。

変えよう!じゃなくて、変えていただくんですよね。

だからこそ、神様の恵みに依り頼むんです。


今週も主の恵みに満ちた愛の御手に信頼し、依り頼み、一歩一歩歩んでいきましょう


今週もよろしくです


でわでわ~ほtesei

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こんにちわ~

今日も、そして今週も無事に終わり、とっても感謝です

この世に生きてるといろんなことがあるし、山あり谷ありだなぁってしみじみ思わされています。

ちょっとしたことで傷つくし、不安や恐れの風がぴゅ~~~って吹いてくるし ね~

でもさ、思うんだけど、神様は苦しみのど真ん中でごちそうを振る舞ってくださるお方なんですよね。


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 私の敵の前で、あなたは私のために食事をととのえ、私の頭に油をそそいでくださいます。私の杯は、あふれています。

詩篇23:5

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このみことば、あぁ、これが神様のやり方なんだなぁっていつも思わされています。

試練の嵐が襲ってきたとき、神様はそのど真ん中でご自身の平和を与え、満たしてくださるお方。

悲しみのただ中に平安を与えてくださるお方。

この平安、平和はこの世の平安じゃない。この世の平安は認められたから与えられるとか、条件付きだし、何かあるとその平安も吹っ飛んじゃうしね。


でもね、神様の与えてくださる平安って、何かをしたからとかじゃなく、その苦しみのただ中で護身の愛と恵みを注いでくださる平安なんです。

だから、試練と一緒に倒れちゃうようなことはないんです。



イエス様は今、大祭司として天で父なる神様の右の座に座られ、ぼくたちのために執り成し祈ってくださっています。今この瞬間も。

ぼくたちと共に笑い、共に泣き、共に苦しみ、共に呻き。。。

だって、イエス様はぼくらの苦しみを全部ご存じで、地上生涯でそれ以上の苦しみ、屈辱を味わってこられたお方ですからね。

そのお方が今天において大祭司として執り成し祈ってくださっているんです。


もがく必要無いんですよね。神様の御手は確かに置かれているし、このお方に信頼すること。

そして主に依り頼むこと。

敵の前で食事をととのえ、油注いでくださる神様、このお方に信頼し、新しい週も歩んでいきましょうねハート


でわでわ~ほtesei

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こんにちわ~

今日も無事終わりました ほっ 主よ、感謝します。


最近ね、神様の時っていうことを思い巡らしています。




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天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある
(伝3:1)。

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そう、神様の時です。

すべてに時がありますよね。

以前、旧約聖書のサムエル記を味わった時なんですが、サムエル、彼は少年時代エリに仕えていましたが、そういう中、彼は夜、神様の語りかけを聞きました。

サムエルは神様に用いられた素晴らしい人ですが、サムエルが公に活動するまでの間は、なんとこの語りかけから20年以上の月日が必要だったんです。

第一サムエル記3章19節には「 サムエルは成長した。【主】は彼とともにおられ、彼のことばを一つも地に落とされなかった。」とあります。

神様はサムエルをそれだけ長い時間訓練され、ちょうど良い時が20年後なんです。



イエス様だって同じです。

イエス様が公の活動を開始されたのは30歳です。

イエス様の少年時代、神殿で大人たち、それも学者たちを相手に、彼らの話を聞いたり、質問していたということ、彼らはその賢い受け答えに驚いたとルカ2:47にあります。

だからもっと早いというか、若い段階で活動をスタートしてもって思いますよね。

でも、イエス様の時は30歳なんです。



神様は私たちすべてに対してご計画をもたれています。

サムエルもイエス様も神様の時に応答されたんです。

じゃぁ、ぼくらはどうでしょう。


ここ数日、そのことを思い巡らしています。

そうなんですよね、神様はぼくたちのための時を用意されているんですよね。


実はね、9月くらいからちょっとだったんです。

あまりにもネガティブな、いろんな思いが心をよぎって、はぁってなっちゃってたんですうえ~ん

すべてが手遅れで、先は知れてるみたいな。。。。


なんかさ、心が開いちゃったんです、あぁ油断。。。。

それでね、はぁってなっちゃってね。。。はぁ・・・↓↓



でね、ずーーーっともやもやしてね、理性ではわかってるんですよ、でも感情の部分でグサグサきちゃってね。



でね、そういう中、そうなんだ、大きな勘違いしてたんだって、ハッと気づいたんです。

神様の時であって、ぼくの時じゃないんだってね。

そうなんですよね、神様の時なんです。そしてぼくの上には今この瞬間も神様の御手があり、ご自身の御手で導いてくださっているんです。



神様はその人その人のご計画があり、それは全員同じでは無いです。

そして実は神様の時がベストタイムなんです。

問題はその神様の時を信頼出来るのかなんですよね。



神様の時と私たちの時、すごくそのことを思わされました。

私たちの祈りは天に積まれているし、何よりも今、イエス様は父なる神様の右に着座され、大祭司としてぼくたちのために祈っていてくださっています。

共に苦しみ、共に悲しまれ、涙されながら。。。。


神様はすべてをご存じであり、ご自身の方法で導かれ、すべての必要を満たしてくださるお方。

このお方に信頼するから、安心して今与えられていることにベストを尽くすことが出来るんです。


神様の時と自分の時、間違えるととんでもないことになりますね。

聖霊様の導きに信頼し、主に導かれて歩みたいですね


そんなことを思い巡らしています


でわでわ~ほtesei

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